ムター&カラヤンのチャイコフスキー協奏曲(1988.8.15Live)を聴いて思ふ

短い結婚生活を終え、心に傷を負ったチャイコフスキーが、渾身の力で創造したであろう諸曲には、不安を帯びた暗い音調と、最悪の事態を乗り越えようと必死にもがく精神の葛藤が随所に感じられ、(いかにも背伸びした明朗快活な音調とは裏腹に)聴いていて切なくなるほど。いずれにもある暗い情熱こそ、チャイコフスキーの神髄なのかも。
ちなみに、ウィーンでの初演評はほとんど差別的ともいえる散々なもの。

ウィーン初演は、聴衆のすさまじい野次に迎えられ、「批評家十人のうちわずか二人が好意的」(モデスト)だった。そしてハンスリックがウィーンの新聞《新自由プレス》(1881年12月24日)で酷評。「たしかに並の才能ではない・・・手あたりしだいに悪趣味なものを創る才能・・・チャイコフスキーの音楽は、独創性と粗野と、アイディアと繊細さのめずらしいまぜもの」と述べ、協奏曲の終楽章に「安酒の匂い」を感じる。さらにドイツの美学者F・T・フィッシャーは猥褻画に「悪臭を見る」と言ったが、彼のヴァイオリン協奏曲は「悪臭をはなつ音楽作品があると考えさせた」と。
伊藤恵子著「作曲家◎人と作品シリーズ チャイコフスキー」(音楽之友社)P109

そこまで叩きのめす必要があるのだろうかと思わせるほどの最悪の評価。しかし、チャイコフスキー自身も一方で、ハンスリックが擁護するブラームスを徹底的に貶していたのだからそもそも因果応報というべきだろう(音楽界というもの、当時も今も変わらず政治色濃く、どうにも胡散臭い)。

25歳とは思えぬ、大人の雰囲気の、濃密な表現。
僕が初めて彼女の実演を聴いたのは1982年。大阪国際フェスティバルでのモーツァルトとブラームス(会場はフェスティバルホール)。彼女は19歳になったばかりの女子だった。前年、カラヤン率いるベルリン・フィルに帯同し、来日した際のセンス満点のベートーヴェンをテレビで観て以来、僕は彼女の奏でるヴィブラートの効いた大時代的浪漫的なヴァイオリンの虜になっていた。カラヤンの秘蔵っ子といわれた当時の、彼女の演奏はいずれも自由闊達、伸び伸びとしたもので、30年以上も前の諸録音は、今聴いても笑みがこぼれるほど素晴らしいものだと感心する。

僕はチャイコフスキーの協奏曲は、決して得意ではない。
しかし、(亡くなる1年前の)カラヤン指揮ウィーン・フィルをバックに従えてのザルツブルク音楽祭での実況録音は、筆舌に尽くし難い感動を与えてくれる、泣く子も黙る(?)一期一会の大演奏なのである。

・チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1988.8.15Live)

第1楽章アレグロ・モデラート冒頭の入りからムターのヴァイオリンはうねりにうねる。
感情を露わにし、巨匠の棒と一体になる若き女流の一挺の弦楽器は、まるで大御所のように主張するが、あくまでそれは自然体。また、カラヤンは可愛い孫の成長を黙って支えるように、ただひたすら音楽を感じ、淡々と、否、若々しくも想いのこもった粘りのある伴奏を繰り広げるのである(とても死の11ヶ月前の指揮とは思えない生気!)。素晴らしいのは第2楽章カンツォネッタの瞑想。何と甘く、憧れに満ちた響きであることか。メロディスト、チャイコフスキーの真骨頂であり、その歌を見事に表現するムターの力量に舌を巻く。そして、アタッカで奏される終楽章アレグロ・ヴィヴァーチッシモの、いかにもチャイコフスキーらしい民族的舞踊が、コーダに向かって突進していく様に興奮を覚える。
当日の、祝祭大劇場に居合わせる聴衆の反応が、これまた凄まじい。

 

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