幼い頃、ヴォルフガングは周囲の大人に、多い日は10篇もそう問うたという。
愛に飢えていたのか、単に無邪気だったのか。
たぶん、その両方だ。前者のモーツァルトは数少ない短調作品に映され、後者は煌く長調作品に反映された。何にせよモーツァルトの音楽は美しい。
当時、歌曲は、個人的な社交の嗜みとしての気軽な創作物だった。
モーツァルトの歌曲もそうだ。あくまで家庭的な雰囲気の中で唱するのに相応しい音楽たちは、どこまでも可憐で、しかし、どこまでも飽きることなく愛おしい。
1787年11月6日完成。ヘルティの詩に音楽を付した「夢の像」K.530の、水も滴る伴奏の透明感、そこに亡き父への想いを託し、死を讃美する言葉の神々しさ。まるで法を得たかのようだ。
愛の楽園である口、
小さな笑くぼ、
そこには天国がひらいてみえる。
みんなそっくり持っておいで、私のいとしいひとよ!
(海老沢敏訳)
若きバーバラ・ボニーのモーツァルト。
少年のような純粋さ、そして何者にも決して汚されることがないであろう無垢さ。
モーツァルト:歌曲集
・歓喜に寄すK.53(47e)(1768)
・落ち着きはらってほほえみながらK.152(210a)(1772-79)
・鳥たちよ、毎年K.307(284a)(1777-78)
・さびしく暗い森でK.308(295b)(1777-78)
・おお、神の子羊K.343(336c)(1787)
・おいで、いとしのツィターよK.351(367b)(1780-81)
・孤独に寄す(私の慰めとなれ)K.391(340b)(1781-82)
・魔術師K.472(1785)
・満足K.473(1785)
・すみれK.476(1785)
・自由の歌K.506(1785)
・ひめごとK.518(1787)
・別れの歌K.519(1787)
・ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いた時K.520(1787)
・夕べの想いK.523(1787)
・クローエにK.524(1787)
・夢の像K.530(1787)
・春への憧れK.596(1791)
・春K.597(1791)
・子供の遊びK.598(1791)
・男たちはいつでもつまみ食いしたがるK.433(416c)(1783)
・喜びの気持ちをK.579(1789)
バーバラ・ボニー(ソプラノ)
ジェフリー・パーソズ(ピアノ)(1990.8録音)
モーツァルトの歌曲創作は12歳に始まり、死の年まで続く。
その時々の心境が、彼が(おそらく無造作に)選んだであろう詩に託され、聴く者を癒す。
例えば、絶頂期のモーツァルトの手になる「魔術師」K.472の、ピアノの高揚感、同時にボニーの歌の自在の表現に思わず唸る。
あるいは、ゲーテの詩に(唯一)曲を付けた「すみれ」K.476の思い入れたっぷりの歌に感動。
可哀そうなすみれよ!
それは愛らしいすみれだった。
(海老沢敏訳)
もはや自然と共生できなくなった人間の悲哀を、モーツァルトは客観視する。
侮ってはいけないモーツァルトの歌。
モーツァルトの、天才の所以。
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