パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団第1864回定期演奏会プログラムA

巨大なNHKホールの3階席奥にまで届いた熱狂と興奮、また静かな祈りと癒し。
かつてソヴィエト連邦が生んだ20世紀最大の、否、人類史上屈指の作曲家がレニングラードに捧げた交響曲の、一切の無駄のない叙事と叙情の入り混じる人間模様、そして、このあまりに人間味あふれる音楽を見事に指揮したパーヴォ・ヤルヴィの力量に感動した。
ショスタコーヴィチは個人(すなわち独奏)と集団(すなわちアンサンブル)の葛藤を常に描いていたのだと思う。言い表すことのできない苦悩と、そこからの解放につながる愉悦。
舞台いっぱいに広がるNHK交響楽団の類稀なる合奏力と、個々の奏者の圧倒的独奏力に舌を巻いた。特に、弦楽器群の、あまりに遠くにまで響きわたる音の鮮明さに僕は唸った。

言葉にならない。
最後の和音が鳴り響くや、聴衆は我慢ならず拍手喝采を浴びせた。
小太鼓に送られた賛辞が一際大きく目立っていた。

NHK交響楽団第1864回定期演奏会プログラムA
2017年9月16日(土)18時開演
NHKホール
ロレンツ・ナストゥリカ・ヘルシェコヴィチ(ゲスト・コンサートマスター)
パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団
・ショスタコーヴィチ:交響曲第7番ハ長調作品60「レニングラード」

最上階からの壮観さ。
音楽が始まる前の緊張感は並みでなく、今日の演奏への期待が膨らんだ。
ドミトリー・ショスタコーヴィチは実演に触れねばわかりえない(ことをまたもや感じた)。
音楽が、単に聴覚だけの芸術でなく、視覚と統合されてはじめて真の姿を現すもので、しかも、演奏する側と空間と時間を共有してこそようやく存在の意義が理解できるのだ。
第1楽章アレグレットは、最初の主題提示から実に音楽的で圧倒的。戦争の主題での正確なリズムを刻む小太鼓に感銘、その後の阿鼻叫喚も決して無機的に陥らず、音楽は伸び伸びと、また生き生きと拡散された。白眉は第3楽章アダージョ(例えば、フルート独奏から弦楽合奏に引き継がれる瞬間の美しさ!)からアタッカで続く終楽章アレグロ・ノン・トロッポへの40分弱。沈思黙考のショスタコーヴィチ、轟音で敵を蹴散らすショスタコーヴィチ。第1楽章第1主題の回想を経てクライマックスを築くコーダの圧倒的迫力とカタルシスに(わかっていても)感動する単純明快さ。長大な交響曲のすべてのフレーズに意味があり、一切の無駄のない70余分があっという間に過ぎ去った。

この作品が初演の翌年にスターリン賞第1席を受賞したことに納得。
当時、戦争に疲弊した国民を鼓舞したと言われるが、仮に時代背景を抜きにしても僕たちの魂まで震撼させる音楽の素晴らしさに涙を禁じ得ない。
それにしてもパーヴォ・ヤルヴィの、ショスタコーヴィチへの尊敬の念が見事に刻まれた(少年時代、父ネーメに連れられて本人と出会ったことがあるという)気迫と自信。名演奏だった。

 

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