ベルニウスのメンデルスゾーン「教会作品集」を聴いて思ふ

mendelssohn_hor_mein_bitten_berniusあっという間に台風は去った。
しかし、毎度のように残された爪痕をみるにつけ人間が自然なるものに決して敵うものではないのだという戒めの想いが湧き起こる。一体どういう警告なのか、ひとりひとりが自らを省みる必要があるのだろう。

19世紀のヨーロッパ社会においてユダヤ人に関する問題は大変なものだったと想像する。音楽家の場合も、メンデルスゾーンは否応なくキリスト教に改宗させられたわけだし、後年のマーラーに至っても同様のことが起こっているのは興味深いことだ。まさにキリスト教徒でないと社会から受け容れられなかったという事実が何とも恐ろしい。
僕は考える。信仰心は人間が生きていく上でとても大切なものだけれど、宗教という枠にとらわれる必要はないと。何より「信仰」というものが宗教を超えたものだろうから。考えてみれば、現在の日本人で無宗教だと公言している人だって初詣に行ったり、仏式でお葬式を挙げたりしているではないか。ならば、そもそも型にはめる必要などないのだ。どんな人も神頼みをするし、祈ること、拝むことだってある。宇宙自然万物、生きとし生けるものを敬う、目に見えない偉大なるものを信じる、そして自身の内側に在る神なるものを信じる、そのことだけで実は十分なんだ。

メンデルスゾーンがどの宗教に帰依していようがいまいが、彼の音楽のもつ崇高さは何も変わらない。スコットランド交響曲にもイタリア交響曲にも、ピアノ・トリオや弦楽四重奏曲、あるいはピアノ独奏曲など、どんな作品の内にも「すべてとひとつになろうとする」想いが感じとれるというのは僕の錯覚なのだろうか・・・。
そして、何より声楽を伴った作品の敬虔さ(数多残された彼の作品の中で、意外にも最も多いのが合唱作品なのである)!!これらは、主題が聖俗いずれであったにしても一様に祈りに満ちる。ほとんど自身の宗教観について口にしなかった、あるいは文章としても残さなかったメンデルスゾーンだが、音楽を聴けば、彼の内側に在った「崇敬な魂」は自ずと感じられるのだ。

メンデルスゾーン:教会作品集Ⅰ
・讃歌「わが祈りを聞きたまえ」
・キリエハ短調
・宗教的な歌「主なる神よ、われらはあなたをたたえる」作品96-1
・時は今
・3つのモテット作品69-3「マニフィカト」
・サルヴェ・レジーナ変ホ長調
・3つのモテット作品69-1「ヌンク・ディミッティス」
ユリア・ハマリ(メゾソプラノ)
モニカ・マイヤー=シュミット(ソプラノ)
アドルフ・サイデル(バリトン)ほか
フリーダー・ベルニウス指揮シュトゥットガルト室内合唱団&シュトゥットガルト・アンサンブル’76(1983.7録音)

後年の、ガブリエル・フォーレの、あの静謐で心洗われる世界に極めて近い。「ヌンク・ディミッティス」など、その美しさに思わず時を忘れて聴き入ってしまうほど。「癒し」などというありふれた言葉は使いたくないけれど、これらの作品の響きに浸るだけで心身が真に軽くなる。何というパワー・・・。

 


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2 COMMENTS

畑山千恵子

メンデルスゾーンはキリスト教に改宗しても、ユダヤ人だということで嫌がらせは続いていました。アメリカ独立、フランス革命でユダヤ人に市民権が与えられても、まだまだ差別は厳しいものがありました。メンデルスゾーンの生涯を考える上でも重要です。

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