ダウランドのリュート歌曲集第2巻を聴いて思ふ

dowland_complete_lute_songsジョン・ダウランドの真実。
信仰する宗教の違いから英国女王に仕えることのできなかったダウランドの音楽には、いつも哀しみと、そしてそうであるがゆえのほとんど執念に近い心の叫びが聴き取れる。国を出て、大陸を巡り、一歩下がって客観的に自国を観る。物事の真実というのはそうした時にこそはっきり見えるものなんだと教えてくれるかのよう。

内にいると見えるものも見えなくなる。
たとえ国外の宮廷を渡り歩いたことが厳密には自身の前向きな意志ではなかったとしても、結果的にそうならざるを得なかった彼の視点は、様々な経験により大いなる全体観をもって深き音楽を生み出すことになる。どの作品にも、冷静かつ悟りを開いたかの如くの哀しみが連綿と綴られる。何というやさしさ!何という癒し!!

1600年に出版されたリュート歌曲集第2巻は、”I saw my lady weep(ぼくは見た、あの人が泣くのを)”によって幕を開ける。美しさの極み。

ぼくは見た、あの人が泣くのを
悲しみも、何という栄誉を受けたものか
すべての完璧さが宿るあの目に宿るとは!
あの人の顔は、嘆きに満ちている
だがその嘆きは(まことの話)魅力にかけては
愛嬌たっぷりの陽気さよりも、ずっと優っている

ダウランド:リュート歌曲集第2巻(1600)
コンソート・オブ・ミュージック
アントニー・ルーリー(ディレクター、リュート)
エマ・カークビー(ソプラノ)
グレンダ・シンプソン(ソプラノ)
ジョン・ヨーク・スキナー(カウンターテノール)
マーティン・ヒル(テノール)
デイヴィッド・トーマス(バス)
キャサリン・マッキントッシュ(トレブル・ヴィオール)
ポリー・ウォーターフィールド(テノール・ヴィオール)
イアン・ゲイミー(テノール・ヴィオール)
トレヴァー・ジョーンズ(バス・ヴィオール)(1976.11録音)

続く、最も有名であろう”Flow my tears(流れよ わが涙)”の切ないばかりの心情吐露。自身の女王に仕えることのできない不遇をこれほどまでの優れた歌に託せる力量は、現代のアーティストにまったく比肩する(ちなみにこちらはStingのバージョン)。

流れよ、わが涙 泉より滝となって!
永遠に追放されて ぼくは嘆きに浸ろう
夜の黒い鳥が 悲しい辱めを歌っている
その闇の中で ぼくはひとり打ちしおれて生きよう

さらに第11曲”If floods tears(もし涙の洪水が)”の4声による絶妙なハーモニー。

もし涙の洪水が 過去の愚行を洗い流すなら
もし溜息の嵐が 罪を潔める香煙となるなら
もし苦悩の叫びが 過ちに香油を塗り
終わりない呻き声が 咎の宥しをかちうるなら
それなら 涙も溜息も呻きも 惜しむまい
ぼくの愚かな罪や過ちのかずかずを償うために

第14曲”Come ye heavy states of night(来たれ 重苦しい夜)”の静謐なる哀愁。
音盤のどこをどう切り取っても思わず耳をそばだててしまう。なるほど、ダウランドの作品は我が国の演歌に通じるものがある(あ、ちょっと違うか。何せ長年女王に仕えることを目的とした人が書いたものだから)。

ジョン・ダウランド生誕450年の年に・・・。
※歌詞はすべてCDボックス付録の解説書(金澤正剛訳)から抜粋。

 


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