ブルックナーの正統解釈ってどんななのだろう?
神秘的で壮大で、揺らめくような静寂と宇宙の鳴動を表す大音響を対比させながら大自然の拡がりを感じさせてくれる演奏なら文句なしなのか・・・。あくまで人間の意志を入れず、自然の流れに任せることが「正統」だとするなら、今日のインバル&都響の演奏は「異端」といってよかろう。第1楽章からして極めて「前のめり」。金管の咆哮も、弦の下品で(笑)あまりに人間的な響きも真のブルックナー好きなら許せないことかも。それでも、終演後のブラヴォー・コールは飛びっきり。熱い、熱い、間違って触ると火傷しそうな名演奏をインバルは届けてくれた。
いつ以来だろう、ブルックナーの実演を聴くのは・・・。長らく封印していたものを何年かぶりに開いてみたら、そこにはめくるめく「素敵な世界」が待っていた。特に、第6交響曲は初期の交響曲と同様、あまり舞台にかけられることもなく、ブルックナーのシンフォニーの中では人気のない作品といえるが、じっくりと耳を傾けると、何の何の、これほど均整のとれた、知的で懐の深い音楽は少ない(ように思う。・・・特に、第2楽章の美しさは他の交響曲にひけを全くとらない)。
ブルックナーの解釈は難しいといわれるが、今日の演奏を聴いてみて、実に多様な表現方法があり、クリティカル・シンキング的360度の方向から見渡せば、多くの新しい気づきが得られるものだとよくわかった。
東京都交響楽団2010年11月都響定期A・Bシリーズ
2010年11月30日(火)19:00開演 サントリーホール
・モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216
・ブルックナー:交響曲第6番イ長調(1881年ノヴァーク版)
四方恭子(ヴァイオリン)
エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団
先日聴いたフルトヴェングラーのCDとはもちろん解釈を異にするが、聴いていてこれほど「希望」を感じさせてくれる大胆なブルックナーに嬉しくなった。唸り声をあげながら指揮するインバルの姿。かれこれ20年ほど前触れた、ジュネーヴのヴィクトリア・ホールでスイス・ロマンド管との演奏以来の実演。「正統」とか「異端」とか、この際そんなことはどうでも良い。「やれるもんならやってみろ」、そんな声が聞こえてきそうな演奏だった。世間が何と言おうと良かった、ただそれだけ。
ちなみに、モーツァルトの第3協奏曲も久しぶりに聴いたが、何ともチャーミングで、温かい音色が心に染みた。19歳のアマデウスが書いた音楽は、時に「深い味わい」を呈する。第3楽章など、ある瞬間「魔笛」につながった。そのシーンはホルンも活躍する。彼が既にフリーメースンに出逢っていたのか、それは定かでないが、晩年の神々しさを感じさせてくれる瞬間があったこと自体が驚異的。
今日も素晴らしい一日に感謝・・・。
おはようございます。
インバル&都響のブルックナーの6番、やはり多くの「気付き」「発見」がありましたか! 彼のここ数年の都響やフィルハーモニア管とのマーラーやベートーヴェンなどの超名演のライヴに接した経験から、その、すっかり恰幅がよくなったにもかかわらず(笑)、フランクフルト時代より表現主義ぶりが一層顕著で、能動的になった指揮姿が目に浮かぶようです。
>ブルックナーの正統解釈ってどんななのだろう?
宇野功芳さんが理想とされているような老巨匠によるブルックナー解釈だけが正統というのは絶対に違うと思います。私も含め、日本人の典型的ブルヲタの皆さんは、そろそろこの大物音楽評論家による「洗脳」から解き放たれて、もっと自分独自のブルックナー観を持ってもよいころだと思いますが・・・。
少なくとも、ブルックナー存命当時に、試行錯誤の結果、作曲家自身が思い描いた理想の演奏解釈は、「大宇宙・大自然の真理」といった崇高さだけではなく、もっと現実の世間を見据えた人間臭い部分を多く含んだものだったに違いありませんよね。「手塚プロ」みたいな「ブルックナー・プロ」の弟子の指揮者達は、その目の前にいる現世の作曲家の想いの具現化に努めたわけです。あの時代の演奏は表現主義が主流だったわけですし、ブルックナーの交響曲とは、あくまでも「世俗曲」であって、「宗教曲」ではないという本質も押さえておくべきでしょうね。
>「正統」とか「異端」とか、この際そんなことはどうでも良い。
演奏スタイルの好みなんていうものは、ファッションと同じようなもので、その時代の世相や気分にリンクしていて、どんどん流行が変化していくものだと思いますし、私は、今の日本の世相は、高度成長期の日本とは大きく異なり、多くの人が、混沌とし漠然とした先行き不安に覆われており(岡本さんが否定しようが客観的事実!)、また、この演奏家でなければ!という強い個性や差別化をみんな欲していて、音楽に慰められ「希望」を貰いたくなり、そういう時代には、また表現主義的演奏スタイルの再評価がなされる時代がやって来る(すでに来ている)と考えています。
たしかにブルックナーの交響曲第6番は、先日愛知とし子さんが弾かれたシューマンのピアノソナタ第2番に似た立場の曲かもしれませんね。あんなにいい曲なのに、作曲家の他の名作の影に隠れ、一般の音楽ファンには目立たない存在になっているところはそっくりです(笑)。
※補足
私のここで言う演奏スタイルの「表現主義」とは、「一般に、感情を作品中に反映させて表現する傾向」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E4%B8%BB%E7%BE%A9
という広義の意味であり、
「ロマン主義~表現主義」
http://www.seikaisei.com/misc/table0.html
と言い換えてもよいかもしれませんね。
>雅之様
おはようございます。
ブルックナーの実演は久しぶりだったので、その点でもよかったんだと思います。僕自身「ブルックナーはこうであらねばならぬ」なんていうちっぽけな概念がだいぶはずれているようで、「宇野功芳さんが理想とされているような老巨匠によるブルックナー解釈だけが正統」という呪縛からは確実に逃れられているのではと思います(笑)。まぁ、そのための「浄化」の期間だったんでしょうね、しばらく。
>ブルックナーの交響曲とは、あくまでも「世俗曲」であって、「宗教曲」ではないという本質も押さえておくべきでしょうね。
確かにそうですね。ブルックナーほど崇高な宗教心をもちながら、一方で人一倍「人間臭い」男はいませんからね。そのアンバランスさが実は音楽を解釈する上で大切なポイントなのかもしれません。
>多くの人が、混沌とし漠然とした先行き不安に覆われており(岡本さんが否定しようが客観的事実!)、また、この演奏家でなければ!という強い個性や差別化をみんな欲していて、音楽に慰められ「希望」を貰いたくなり、そういう時代には、また表現主義的演奏スタイルの再評価がなされる時代がやって来る(すでに来ている)と考えています。
確かにおっしゃる通りなんでしょうね。今の時代こそかつての人間臭い、雅之さんのいう「表現主義的」演奏が求められているのかもしれません。
※追記
同伴したふみくんは僕とまったく正反対の意見でした。
昨日はあまり時間がなかったので「議論」できなかったのですが・・・。
ふみくん、ぜひコメントを!(笑)
こんばんは。
インバルのチケット、譲って頂きまして誠にありがとうございました。
確かに岡本さんとは反対の感想を持ったかも知れませんね。僕は二楽章の第二主題が出てきた辺りで幻滅して集中力が切れました(笑)終楽章も酷かった…
別に愛着の無い音楽ならまだしも僕が愛して止まないブル6でしたからなお一層だったんだと思います。
まぁ、レビューに関しては書き込んだ所でごちゃごちゃなるのがオチなのでまたお会いした時にでも是非。例のヨッフム100周年のブル6持って行けたら持って行きます!
それより昨晩のアルゲリッチの想い出に浸っているところなのでインバルのブル6は記憶から抹消しておきます(笑)
>ふみ君
おはよう。
コメントありがとう。
多分真逆の感想だろうね。僕は逆に第2楽章と終楽章が気に入りました。
>レビューに関しては書き込んだ所でごちゃごちゃなるのがオチなので
いやいや、そういう「ごちゃごちゃ」がまた面白いので、書ける範囲でぜひとも感想を聞かせてください。
>それより昨晩のアルゲリッチの想い出に浸っているところなので
よかったらしいね!!羨ましい。その話は今度ゆっくり。
[…] 僕は昔から妙にリヒャルト・シュトラウスの音楽にシンパシーを感じてきたのだが、その理由が何だか突然わかった気がした。エリアフ・インバル指揮による東京都交響楽団のスペシャル・コンサート。楽しみにしていた3月のバルトーク・プログラムが中止になったこともあり、俄然この日が待ち遠しかった。昨年11月にブルックナーの第6交響曲を聴いて以来。終わっての感想は「ともかく良かった、最高だった」という一言。 […]
[…] ちなみに、僕は朝比奈御大が亡くなってからブルックナーの実演をほとんど聴いていない。 ブルックナーの音楽を封印したいと思ったわけではないのだけれど、幾度も耳にした御大のあの愚直でありながら崇高な音響が忘れられず、上書きしたくないという想いに駆られるから。振り返ってみると、朝比奈逝去の翌年、大阪フィル東京定期で若杉弘の棒により第3番を聴いた。また、何年か前、飯森泰次郎指揮東京シティ・フィルで第5番も聴いた。それと、マレク・ヤノフスキ指揮N響による第5番をNHKホールで聴いたか。あ、エリアフ・インバル指揮東京都響で第6番も聴いていた。いずれにせよ17年間でその程度だ。いや、絶品を忘れていた。ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮読響の第5番(泣く子も黙るシャルク版)。あれは凄かった。 […]