煌めくピアノ伴奏に乗せて、あまりに内省的な歌が紡がれる。
1913年の歌曲集「雲の切れ目」。リリ・ブーランジェの、鬼気迫る、生と死の狭間に眠る、一期一会的音楽に僕は涙する。テノールの歌は慟哭だ。
1914年7月、リリがいったんパリに戻った直後、8月3日に対独動員令が発布された。ミキは即座にニースで看護婦を志願する。リリも病躯を顧みず、ナディアと協力して、戦地に駆り出されたパリ音楽院の同窓生に手紙や小包を送ったり、残された家族の話し相手となって、物心両面から彼らを支えた。
~小林緑編著「女性作曲家列伝」(平凡社選書)P275
自らの病躯を顧みなかったところが、リリ・ブーランジェの恐るべき心魂。
その音楽が唯一無二であり、人々に多大な共感を与える理由は、そもそもの彼女の在り方にある。夭折でなければならない訳がそういうところにもあったということだ。
深遠、あるいは深淵。どこまでも底のない、恐るべき音宇宙。
リリ・ブーランジェ:
・テノールとピアノのための歌曲集「雲の切れ目」(1914)
・ソプラノ、合唱とピアノのための「人魚たち」(1911)
・3声とピアノのための「春の訪れ」(1911)
・メゾソプラノ、合唱と3手ピアノのための「太陽の讃歌」(1912)
・バリトン、合唱と3手ピアノのための「兵士の葬送に寄せて」(1912)
・ソプラノ、テノール、バリトン、合唱とピアノのための「平原の夕暮れ」(1913)
マーティン・ヒル(テノール)
アマンダ・ピット(ソプラノ)
ジャネット・エイジャー(メゾソプラノ)
ピーター・ジョンソン(バリトン)
アンドリュー・ボール(ピアノ)
イアン・タウンゼント(ピアノ)
ジェームス・ウッド指揮ニュー・ロンドン室内合唱団(1994.2.4-6録音)
続く「人魚たち」の合唱とソプラノの醸す崇高さ、否、可憐と表現してもいいのかも。
あるいは、「太陽の讃歌」の厳粛な調べ。相変わらず尖った、それでいて繊細なピアノ伴奏がものを言う。
1912年の1月、ナディアの下準備によって、リリはコンセルヴァトワールに入学した。病の発作による数回の中断にも関わらず、彼女の学業は輝かしいものであった。そして1913年の7月、19歳の年に、女性として初めてローマ賞の一等賞を受賞するという偉業を成し遂げたのだ!
~ジェローム・スピケ著/大西穣訳「ナディア・ブーランジェ」(彩流社)P44
そして、「兵士の葬送に寄せて」の奇蹟。「怒りの日」の旋律が木霊する。
哀しみと喜びの交錯。音楽が、底知れぬパワーとエネルギーを秘めることを痛感する。
リリ・ブーランジェの天才的発露。
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