水の如く

昨日の雨から一転、真っ青の秋空を見上げて自転車を駆る。金木犀の甘い匂いが薫る。
今の季節ならではの情景。
バッハの管弦楽組曲第3番のエアー。
俗にいうG線上のアリアだが、実演でも録音でもこれまでいろいろと耳にしてきて、本当に美しい音楽だと感心する。著名な音楽人が亡くなるとお別れ会などで必ずと言っていいほどこの曲が演奏されるが、例えば朝比奈隆御大のお別れの会(2002年2月にザ・シンフォニーホールで開催された。わざわざ前後に仕事を作って馳せ参じた)のときの林元植氏の演奏。そういえば、この前の吉田秀和氏の時は小澤征爾氏が演奏ったんではなかったっけ?バッハはそんなつもりで書いたのではないだろうが、それでも人々の魂を安らかに鎮める効果があることは間違いない。

午後からの講義の前に所用を済ませる。
デスクワークも少し。その際のBGMがバッハとヘンデル。それも1940年代から50年代の旧い実況録音。当然我々が今聴くバッハ演奏とは体を異にするもので、重く分厚く、一音一音を確認するかのようにゆっくりと音楽が進行する。実にこれだけで涙もの。
何より1枚を聴き終わった後のカタルシスと爽快感。
これほどまでに豊饒な音楽に埋没することで、奥底に溜まった余計な、あるいは無駄な感情が一掃され、未来が開けるかのような錯覚に陥る。
戦後の復興期、フルトヴェングラーの音楽は敗戦国の人々の心を癒したというが、なるほど「希望」を与えていたんだ!バッハもヘンデルも、グルックだってフルトヴェングラーで聴くと心底まで掻き回されるような・・・。

J.S.バッハ:管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068(1948.10.22Live)
ヘンデル:
・合奏協奏曲ニ長調作品6-5(1954.4.27Live)
・合奏協奏曲ニ短調作品6-10(1950.6.20Live)
グルック:歌劇「アルチェステ」序曲(1951.9.5Live)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

いかにもフルトヴェングラーらしいバッハ。クレンペラーのそれよりもっと粘っこく、一層情感がこもる。特に「エアー」は必聴。身も心も捧げてしまいそうな(笑)入魂のバッハ。
そして、亡くなる半年前のヘンデルの演奏の何と澄んでいることか!それに何と若々しさが感じ取れることか(ラルゴ楽章の慟哭の祈り!)。
グルックの、あまりに意味深い直接的な音も・・・。

音楽は時空を超える。そして水の如く、どんな器にも即応する。
数百年という歴史を超えて聴き継がれる音楽は特にそうだとここのところ僕は考える。
どんなスタイルだってあり、そしてどんな解釈だって可能だ。まさに十人十色。
フルトヴェングラーのこれらバロック音楽の録音を聴き終えて最後に僕が思ったこと。
何と立派なバッハ。何と崇高なヘンデル。グルックはもはや神への捧げものだ。


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