座禅の会、グールドのザルツブルク・ライブ

gould_salzburg_recital_1959.jpg友人のお誘いを受け、駒込にある曹洞宗法輪山泰宗寺の座禅朝課に参加した。所謂本格的な道教のお寺での座禅の会。7:30頃に到着し、まずは作法の一切をご教示いただき、8:00~9:00が朝課。うちおそらく30分ほどが座禅なのだが、邪念が多いのか、あるいは姿勢に慣れないせいか、なかなか集中できない。終了合図の1分ほど前にふっと何かが吹っ切れたような感覚はあったが、気のせいかもしれない。まだまだ修行が足りないようだ(笑)。その後、住職の指示のもと、皆で般若心経とその他いくつかのお経(何というお経なのかは不明)を読経し、終了。毎週土曜日の朝開催されているようなので、また機会をみて参加してみようと思う。

今月は公開講座や企業研修など事前に準備をしなければいけないイベントが多く、明日の「早わかりクラシック音楽講座」についてゆっくり考察する暇がなかなかとれなかったのだが、やっと考えることができた。ともかく朝からいくつかの「ゴルトベルク変奏曲」を聴き、心の赴くままに楽曲を捉え、J.S.バッハが何を伝えたかったのかをあれこれ想像しながら講義の整理をする。グレン・グールドの弾く2種の音盤(55年盤、81年盤)も一気に聴いた。こうやって並べて聴いてみると、どちらも捨てがたい。グールドにとってメジャー・デビューとなった55年盤の「ゴルトベルク」は、信じられないような颯爽とした若々しいテンポで、以前ならせかせかと速過ぎて体内リズムにどうもしっくりこないという印象をもったのだが、最近はむしろこちらの方がぴったりくると思えるほど、この演奏の価値がやっとわかってきたように思う。かといって、連続で聴いた81年盤の沈潜するようなテンポが遅すぎるという印象を受けるのかといえば決してそうでないところがグレン・グールドの凄いところ。こちらの演奏を聴けば聴いたで、まさに「こうでなければ!」と即座に納得させるだけの説得力を持つのである。録音に25年余りの歳月の差があるとはいえ、クラシック音楽の演奏解釈の幅、可能性をこれほどまでに体感させてくれるピアニストは稀有だろう。

ところで、グールドの弾いたもう1枚の「ゴルトベルク変奏曲」。

「グレン・グールド・ザルツブルク・リサイタル」
J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV988(1959.8.25Live)
グレン・グールド(ピアノ)

何と50年近く前の、コンサート・ドロップアウトする以前のグールドのザルツブルク音楽祭でのライブ演奏を収めた奇跡的なCD。この時には、他にスヴェーリンクの幻想曲、シェーンベルクの組曲、そしてモーツァルトのK.330が演奏されているが、どれも意外なほど正統派の解釈で、ある意味グールドらしい奇を衒ったところのないことが余計に安心感を与える(モーツァルトなど例の賛否両論のソナタ全集と比べると信じられないくらいマトモだ・・・笑)。そのどれもが完璧な演奏テクニックと天才的な解釈に支えられて見事に音化されていく様は感動的ですらある。
そして、何といっても白眉はやはり「ゴルトベルク変奏曲」。とにかく音に勢いがあるのだ。おそらく当日会場で聴いたらば一層の感動を喚起されただろう究極の名演奏であることが、この一世一代の録音を通じて感じとれる。第26変奏以降の「天使の詩(勝手に僕が名づけているのだが)」に見る詩情と躍動感、そしてこの世のものとは思えない愉悦感と幸福感はいかばかりのものか!!こんな演奏を目の当たりにできたザルツブルクの聴衆に嫉妬心すら感じてしまう。
グールドはやはりコンサートを辞めるべきではなかった!!

※この音盤は、HMVで今なら1,213円(ただし、マルチバイ特価)で買える。持ってない方は買いに走るべし!

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