小澤征爾&サイトウ・キネン・オーケストラ1992を観て思ふ

saito_kinen_festival_1992モーツァルトを敬愛していたチャイコフスキーが、おそらく「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」に触発され生み出した傑作を耳にして思うこと。
弦楽合奏の響きの崇高さ、そして、異なる弦楽器のハーモニーの妙なる美しさ、さらには、ハ長調という最も開放的な調性による音楽の人の心に与える癒しと官能。
ここには厳かで静けさに溢れる儀式があり、愉悦に満ちる踊りがあり、さらには抑圧されしものを解放するパッションがある。インスパイアされど、モーツァルトの単なる焼写しでなく、借りたものはその形式だけで、本質はチャイコフスキーの純粋で無垢な魂。

第1回「サイトウ・キネン・フェスティバル」の映像を観た。壮年の小澤征爾の想念が隅々まで行き渡る、そして独奏者としても粒揃いの名手を集めたサイトウ・キネン・オーケストラのその後の輝かしい活躍を予見する最高のパフォーマンスがここにあった。

それにしても小澤の直線的かつ直接的なエネルギーが音楽に与える影響はいかばかりか。斎藤秀雄門下という、年齢、年代は異なるものの「同じ釜の飯を食べた」メンバーが集まっての管弦楽が生み出すパッションとエネルギーが映像から今にも飛び出してきそうな勢い。特に、ブラームスの第1交響曲の空前絶後の演奏を目前にして、僕は釘付けになった。

小澤征爾は語る。

指揮者がこうやるからこう弾くんだではなくて、自分たちでこう感じるから作るんだということから言うと、サイトウ・キネン・オーケストラは非常に自主的、あるいは率先して音楽を作るオーケストラなのです。ですから、指揮者としては楽なんです。ただ立っているだけでいいわけですから。大体の方向性だけ決めれば良いという・・・。
うまくいっているときこそ、これこそ僕のやりたかったブラームスだと感じるのです。

ここには、チーム、組織の理想形がある。個々が自主独立し、しかも縦にも横にも容易につながるという「結束」。その秘訣を小澤はまた次のように言う。

目で合わせ、呼吸で合わせることで音楽の「揺れ」が自然に出てくるのです。

何という箴言!!言葉でない音楽であるがゆえの技!!

サイトウ・キネン・フェスティバル松本1992
・チャイコフスキー:弦楽セレナードハ長調作品48(1992.9.5Live)
・ブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68(1992.9.5Live)
・チャイコフスキー:弦楽セレナードハ長調作品48~第1楽章(2010.9.5Live)
小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ
ドキュメンタリー
・小澤征爾 ザ・リハーサル(1992)
・世界のマエストロ 小澤征爾 入魂の1曲(2010)

第1楽章序奏ウン・ポコ・ソステヌートの冒頭から地鳴りのようなエネルギーと律動。主部アレグロに入ってからの一見外面的でありながら、実に芯のしっかりした奥深さを体現する「鼓動」に魅入られる。この、あまりに何度も耳にしてきた音楽が、初めて聴いた時の感覚をもって眼前に現れるのだ。
第2楽章アンダンテ・ソステヌートで、コンサートマスターの潮田益子さんが何やら管の方を向いて目配せし、笑みを浮かべながら演奏するシーンが印象的。この優しくも明快な音楽が一層開かれる。短い第3楽章も異様な熱気に溢れる。
そしていよいよ、クライマックスとなる終楽章の、音楽が進むにつれ高揚する「時々」の沸々と湧き出る湯気のような「気」が、汗だくの小澤征爾の顔面の様子と相まって、ブラームスの魂を呼び覚まし、聴衆の、あるいは視聴者の魂をも刺激する。

本公演のドキュメンタリーを合わせて観ることで、舞台裏がよく見えて、小澤&サイトウ・キネンの素晴らしい音楽がより一層理解できることが嬉しい。

 

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