西洋占星術では、生まれた時の太陽の位置が「人生のテーマ、あるいは目的」であり、月の位置が「心、感情や身体」を表すのだという。ちなみに、僕自身は前者が「牡羊座」、そして後者は「蟹座」である。その角度はちょうど90度で、持って生まれた人生のテーマ、すなわちやらなければならない使命と日常生活で感じる自己との間に矛盾を感じやすいのだという。確かに・・・。最近になって、仮の自分と真の自分との間の溝が少しずつ埋まり始めてきたように感じるが、特に若い頃は意識と身体が支離滅裂で、自分でも統制がとれなくて「現実逃避」していたように思う。
午後、星の話、占星術について少しばかり講義を受けながら宇宙と大地と線で結ぶ楽器が弦楽器なのではないかとふと考えた。昨日から繰り返し聴いている「無伴奏ヴァイオリン曲集」(バッハのそれ、あるいはバルトークの晩年のものなど)の音が耳にこびりついている。
以前、ヘンリク・シェリングの弾くバッハの無伴奏ヴァイオリン曲集を採り上げた。「峻厳」という言葉がまさに相応しい唯一無二の演奏だと思うが、それより遡ること12年、1955年に若きシェリングが録音したソニー・レーベルの音盤は、より一層柔軟でかつ軽やか(決して軽薄という意味ではない)、モノラルながら録音も上々、一気に通して聴き、独り悦に浸った。これは明らかに人間が創り出した音楽じゃないと思うが、ヴァイオリンという小さな一挺の楽器が、それこそ相応しい奏者を選んだ時に描き出す「音の綾」は、まさにその楽器が天と地を結ぶ「神の器」であることを証明する。
一日に何度も繰り返し聴くような音楽ではないとわかってはいるのだが、今夜はもう一組の超絶的な演奏をあらためて聴くことにした。
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータBWV1001~1006
ナタン・ミルシテイン(ヴァイオリン)
ソナタ第1番BWV1001から順番に、無心に耳を傾ける。パルティータ第3番BWV1006が終わる頃には、身体中の溜まった垢が削ぎ落とされ、新しいエネルギーがうちから湧き出ずる。そして、もう一度最初から、すなわち第1ソナタからまた聴きたくなるという不思議なパワーを持つ。何ものにも邪魔されず、何物にも依存せず、ヴァイオリンという一個の楽器があくまで単体でぶれずに我々に訴えかけるのだ。ヴァイオリニストにとってこれほど演奏が、そして表現が難しい音楽は他にないのではないか!
ヴァイオリンの貴公子ナタン・ミルシテインの演奏はシェリングよりも一層温かく明るい(それは決してどちらが優れているとか劣っているという問題ではない)。彼の音盤を数多く持ち合わせておらず、しかも熱心な聴き手でなかったゆえヴァイオリニストとしての力量や芸術性について云々するのは不可能だが、ともかくこのバッハの曲集に関しては一家に1セットと言っても過言ではない代物。
地にしっかりと足をつけ、たった一挺のヴァイオリンから流れ出す一音一音に全神経を集中させ、遠く宇宙の彼方の星々とつながるようにイメージしよう。
バッハの書いた総ての音符はまさに宇宙そのものである。
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