シューベルト歌曲の魅力

schubert_bostridge.jpg「士は当に己に在る者を恃むべし。動天驚地極大の事業も、亦都て一己より締造す。」
立派な男子たる者は、自分にある所のものをたのむべきであって、他人にたよることがあってはいけない。天地を動かし驚かすような大事業でも、総て自分からして造り出されるものである。(久須本文雄訳)

自分を信じること。人間は何事においても、自己を信じ自己の力で独立独行せよと一斎は説く。

佐藤一斎が「言志録」を書き始めた1813年から遡ること2年。ゲーテは自伝「わが生涯より・詩と真実」を発表する。

人間は行きたい方へ行くが良い。人間はしたいことをするが良い。しかし人間は、自然が描いている道へ必ずまた戻ってくるに違いない。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ「詩と真実」

自身の直感に従ってやりたいことをやりたいようにせよ、とゲーテは読む者に、そして自らに語りかけるのだ。

クラシック音楽を聴き始めて間もない頃、人声は僕の苦手とするジャンルであった。いわゆる声楽曲やオペラを習慣的に聴くようになったのは随分後になってから。特に、リート(歌曲)に関してはほとんど齢40近くになってからやっと受け容れることができるようになったと言っても言い過ぎではない(こういう言葉を伴った世界は、その言語を即座に理解できる能力を持っていないと難しい)。

シューベルト:歌曲集
イアン・ボストリッジ(テノール)
ジュリアス・ドレイク(ピアノ)

一方が他方に依存するのでもなく、ピアノはピアノで、歌唱は歌唱で内にある総てを投げ打って自己主張しながらも、純粋に溶け合う心と心。イアン・ボストリッジのテノールとジュリアス・ドレイクのピアノが紡ぎ出す奇跡的なシューベルトの調べ。
日本人なら誰もが「わーらーべはみーたーりー」という歌詞を知っているであろう「野ばら」。原曲の歌詞は、恋人を裏切った男の自責の念が託された内容で、決して日常一般に歌われるような愛らしいものではない。大人が歌うとこれほどまでに切ない慟哭の調べとなるのか・・・。そして、ゲーテの詩に若き18歳のフランツ・シューベルトが音楽をつけた栄えある作品1を冠する傑作歌曲、「魔王」。いくつもの声色を使って多様な表現を創り出すボストリッジの天才。そして、それに応えるように絡みつくドレイクのピアノの鮮やかな響き。どこをどう切り取ってみても、シューベルトの数多の名曲から選りすぐった名旋律があくまで自然な形で心に染み渡る。

ところで、この歌曲集の中で、何と言ってもお気に入りは、やはりシュトルベルクの詩に曲をつけた「水の上で歌う」D.774。前奏の波打ち際にキラキラと輝く光を連想させるピアノの調べから即刻シューベルトの音楽世界に誘われる。以前採り上げたバーバラ・ボニーの歌唱もよいが、彼女の美声に優るとも劣らぬ絶美の演奏がこのボストリッジ盤。ともかく人間の声を超えたところで鳴り響くようなボストリッジの歌声をじっくり聴いてみてほしい。美しすぎる・・・。

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