小夜曲

mozart_walter_overtures.jpgセミナーでの講義内容をブラッシュアップしようとここのところ書籍を買い込んで読んでいる。今日も紀伊國屋書店とジュンク堂を梯子して別冊日経サイエンスのバック・ナンバーを何冊か手に入れた。例えば「脳から見た心の世界」。あるいは「こころのサイエンス」。ざっと斜め読みしてみたが、これまで漠然と知っていたことが、再確認できた記事もあれば、なるほどと新たな切口で教わることもあり、こういう勉強も楽しいものである。

梅雨も明け、暑い夜が続く今頃の季節にはやっぱりモーツァルトが良く似合う。モーツァルトの音楽の中には人間のもつあらゆる情感が含まれている。感性に負担なくすーっと心に響く。「脳」に無理なく聴ける、自然な解放感に包まれた最美の楽音。書籍の気になった箇所をマーカーでチェックしながら、モーツァルトを聴き流す。弦楽五重奏曲第1番、フルート協奏曲集、ピアノ四重奏曲などなど・・・。

モーツァルト:セレナードト長調K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団

ブルーノ・ワルター生涯最後の録音となったモーツァルト:序曲集を聴く。1年足らずの後ワルターは心臓麻痺により逝去するが、この音盤に収録されているオペラの序曲やあまりに有名な「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の枯れた味わい、清澄な佇まいから感じとれる内に秘めた冷たい「情熱」は他のあらゆる指揮者の同種盤を圧倒的に凌駕する。「フィガロの結婚」序曲の絶妙なテンポとバランス、そして「魔笛」序曲のデモーニッシュな静けさ。ワルターが最後の最後に到達した境地が刻印されている。
1980年頃にこのLPを初めて聴いた時、「アイネ・クライネ」の美しさにもっていかれた。まだまだクラシック音楽を聴き始めた頃は、こういう誰もが耳にしたことのある音楽に出逢うことがとても新鮮で、ヴィヴァルディの「四季」やショパンの「英雄ポロネーズ」を全曲通して正面から聴いた時と同じようになぜだか嬉しくて狂喜乱舞した(あくまで心の中でね)ことが懐かしい。そういうこともあってこの音盤は初心者の方にとってもお奨め。これからモーツァルトを聴いてみようと思っている方はワルターの後期交響曲集かこのCDからはいってみるのがいいんじゃないかなぁ・・・。

※前にも触れたと記憶するが、最後に収められている「フリーメイソンのための葬送音楽」K.477は空前絶後の名演奏。絶品です。冒頭の「アイネ・クライネ」の不思議な明るさと対比するかのような「悲しみ」が全編にわたってしみじみと醸し出される。

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1 COMMENT

アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » モーツァルトは難しい

[…] 10代の頃、クラシック音楽を少しずつ聴き始めた頃、ご多聞にもれず音楽蒐集の対象はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトだった。ワルターの「アイネ・クライネ」やベームの第40番に度肝を抜かれて、というよりその美しさに聴き惚れて、ラローチャ&ショルティの第27番協奏曲に出逢ったのをクライマックスにして、年がら年中モーツァルトをスピーカーから流していた。あの頃がとても懐かしい。 30年前の確か今頃、初めて生のオーケストラの音を聴いた大阪国際フェスティバルでのムターによる協奏曲の夕べのプログラムはモーツァルトの第5番とブラームスだった。多分、アンコールもあっただろうが、全く記憶にない。この時はすでにモーツァルトへの熱も一時期よりは下降気味でお目当てはブラームス。痺れた、泣いた。あの時のフェスティバルホールの光景、中之島の風景はいまだに忘れられない思い出だ。 […]

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