モーツァルトの普遍性はやっぱりすごいと感じる今日この頃。歴史上の音楽家の中で彼以上に「受容」のある作曲家はいないのではないかと思えるほどだ。かのショスタコーヴィチもグラズノフから「モーツァルト以来の才能」といわれ世に出ているし、19 世紀以降に生きた音楽家の優劣はモーツァルトを規範にしてあると言っても過言ではないだろう。
彼は自身の人生においても絶頂とどん底の両方を体験しているし、その音楽も「喜怒哀楽」のすべてを包括する絶対美の極みである。
ギドン・クレーメルがクレメラータ・バルティカの面々とともに録音した「After Mozart」という音盤がある。久しく聴いていなかったが、今日とりだして何となく耳を傾けたのだが、モーツァルトの天才性を再確認すると同時に、後世の作曲家たちがどれほど追いつき追い越せと躍起になっているかがわかり、どんなに足掻いてもこの天才は超せないという諦めにも似た感覚にとらえられてしまった。父レオポルトの通称「おもちゃの交響曲」も含まれているが、残念ながら作曲家としては格下だろう。
シュニトケ:ハイドン風のMOZ-ART(1977)
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
クレメラータ・バルティカ
シュニトケの音楽に関してはほぼ無知であるが、この曲は面白い。モーツァルトが残した楽曲の断片をモチーフに作曲されているようだが、ハイドンの「告別」交響曲のように、奏者は演奏を続けながら一人また一人と舞台を去っていくという仕掛けが施されているとのことだ。
今夜、柳井、志穂、幸二郎、安田と宴を開いた。あえて実名を挙げてしまうが、なかなかに面白かった。偶然集まった面々だが、何か意味があるのだろう。何か深い因縁があるようであっという間の4時間だった。人生山あり谷あり。Take It Easy!!
⇒旧ブログへ