ソウルフルなショパン

chopin_goode.jpg晩年のショパンのことを想うと切なくなる。
まだ恋に恋していたようなティーンエイジャーの頃、ショパンの音楽に健全な、あくまで健全なエロスを感じ、のめり込んでいた時期があった。ジョルジュ・サンドとの激しい恋愛と、挙句傷つけ合っての別れ、壮絶なひとときを送った病身であるピアノの詩人は、その晩年に信じがたいほどの音楽的高みに上り詰めてゆく。その頂上に達するか否か、微妙な地点で彼は神に召されたわけだが、「もしも」あと数年サンドとの愛が継続していたならどれほどの音楽が書かれていたのだろうか、そのことを考えると早過ぎる死が本当に残念でならない。

高校生の頃は、もちろん最晩年のショパンの気持ちなど理解できるはずもない。高貴で純粋で、しかも高度な楽曲だという印象、そして哲学的思索に満ちた紛れもないこの天才の傑作たちを横目に、若き日のわかりやすい作品群を専ら愛聴した。バラード第1番、ノクターン作品9、初期のワルツなどなど。今ではもうこれらの音楽を聴くことはほとんどない。それより、サンドとともに過ごした壮絶な日々の日記のような深く重みのある作品が何より僕の心を捕らえて離さない。

最晩年の音楽はどれも最高の出来だが、どれかひとつといわれたら間違いなく「幻想ポロネーズ」を挙げる。ショパンの最高傑作といっても過言ではない。僕が初めてこの作品に触れたのは、ホロヴィッツの歴史的復帰演奏会、カーネギーホールでの実況録音において(LP時代はショパン・アルバムの中に収録されていたと記憶する)。最後の音が鳴り止む前に降り注がれる聴衆の熱狂的拍手喝采。この録音はいつ聴いても新鮮で、1980年頃を思い出させてくれる。

巷ではそれほど騒がれない名盤がある。リチャード・グードがショパンの晩年の作品を中心に録音したアルバムである。

ショパン:
・ポロネーズ第7番変イ長調作品61「幻想」
・ノクターン第16番変ホ長調作品55-2
・マズルカ
-第7番へ短調作品7-3
-第29番変イ長調作品41-4
-第11番ホ短調作品17-2
-第10番変ロ長調作品17-1
-第13番イ短調作品17-4
・スケルツォ第4番ホ長調作品54
・舟歌嬰ヘ長調作品60
リチャード・グード(ピアノ)

「幻想」ポロネーズを聴いて驚いた。何て静かで、何て深くて、何て哀しい音楽なのだろう・・・。これは決して舞曲などではない。もはやサンドとの深い「つながり」に行き詰まりを感じつつあったショパンが想いを振り絞るように生み出した「心情告白」である。それに呼応するかのようにパリの社交界で活躍し始めた頃に書かれたマズルカたちも妙に涙を誘う。

蒸し暑い、今日のような雨の日に似合うバルカローレ。きらめく水辺にたゆたうように流れ行く悲しみのゴンドラ。アルバムの帯にグードのショパンを評して「ソウルフル」だと書かれているが、的を射た表現。繰り返し聴くほど音楽とひとつになれる、そんな貴重な音盤だ。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
私がショパンの音楽を馬鹿にしているのは、結局私がクラシック音楽にピアノから入ったのではないことが大きいのではないかと思います。だから、ショパンについては、正直誰の演奏で聴こうと、あまり拘りがないんですよね。
しかし、先日酷評したツィマーマンについてはもう少し付け加えると、私には、世界に冠たる超一流ピアニストは、ショパン演奏がどれほど素晴らしくても、バッハかモーツァルトかベートーヴェンの、いずれかのスペシャリストであるべきだという強い価値基準があり、ツィマーマンはその意味で、まだどれも中途半端だという思いが強いのです。せっかく天が与えた賜うた才能を異国での金儲け至上主義で浪費してほしくはないものです(ちょうど、宇野さんがよく言う、マーラーやブルックナーを振れてもベートーヴェンの交響曲をしっかりした解釈で振れない指揮者は信用できないという価値観に似ているかもしれません、だから、あくまで偏見ですが)。
そういう意味では、モーツァルトのスペシャリストでもあるマリア・ジョアン・ピリスの昨年の来日公演
http://www.triphony.com/concert/20090422topics.php
は、そのプログラム構成からして、女・子供相手だけではなく、センス抜群の極みだったと思います。
ショパン(グラズノフ編)/
エチュード第19番 嬰ハ短調 作品25-7(チェロとピアノ)
ショパン/
ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58
リスト/
悲しみのゴンドラS.134(チェロとピアノ)
ショパン/
マズルカ 作品67-2、作品67-4
チェロとピアノのためのソナタ ト短調 作品65
マズルカ 作品68-4(絶筆)
さすがです。これを聴かれた岡本さんは、本当に羨ましいです(当地でもやったのになあ・・・涙)。私はもっぱらCDを愛聴していますが、
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2804999
こちらも申し分のないセンス抜群の選曲です(これ以上ないくらい最高)。ここには、間違いなく通俗の引力から遠くに脱出した深いショパンがいます。マズルカとかチェロ・ソナタとか、こういう真の傑作を含んだプログラムを、Cプロでもいいから、深い解釈でショパン・イヤーには演奏して欲しいんだよ、日本人を初心者の「金づる」ばっかりだと思ってなめるんじゃないよ、わかったかい、「鍵盤の貴公子」ツィマーマン君よ!!
グードはモーツァルトやベートーヴェンのスペシャリストでもありますし、好きになれそうです。ご紹介のCDは未聴ですが、いつか聴いてみたいです。
それにしても、ホロヴィッツが生きていたら、ショパン・イヤーでもシューマン・イヤーでもある今年、両方超名演を弾いてくれたんだろうになあ・・・。さあ、今日も元気に仕事しよっと。プロにとっては、本当に大切なお客さんの目は、厳しいなあ。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
>世界に冠たる超一流ピアニストは、ショパン演奏がどれほど素晴らしくても、バッハかモーツァルトかベートーヴェンの、いずれかのスペシャリストであるべきだという強い価値基準があり、ツィマーマンはその意味で、まだどれも中途半端だという思いが強いのです。
昨年のツィマーマンのリサイタルではバッハ、ベートーヴェンが採り上げられました。確かに昨年のブログ記事を読んでみるともうひとつという印象をもっていたことがわかります。おっしゃるように、これまで何度も僕はツィマーマンのベートーヴェンやバッハを聴いておりますが、途轍もない名演奏に遭遇したこともありました。という意味では、中途半端、発展途上なのでしょうね・・・。
昨年のピリスのリサイタルのプログラムは本当に見事でした。
最後に拍手をしないという演出も含め。
>こういう真の傑作を含んだプログラムを、Cプロでもいいから、深い解釈でショパン・イヤーには演奏して欲しいんだよ、日本人を初心者の「金づる」ばっかりだと思ってなめるんじゃないよ、わかったかい、「鍵盤の貴公子」ツィマーマン君よ!!
ハハハ・・・、ツィマーマンに読ませたいですね(笑)。
とはいえ、先日も書きましたが、一様に金儲け主義に陥っていると言い切れない面もあると思いますので、そのあたりは直接本人に聞いてみたいところです。
>ホロヴィッツが生きていたら、ショパン・イヤーでもシューマン・イヤーでもある今年、両方超名演を弾いてくれたんだろうになあ・・・。
ですね!!

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