ナポリ楽派の音楽たち

思考に対して「手」が追いつかぬ。
書きたいこと、書かなきゃいけないこと、言いたいこと、言わねばならぬこと・・・、いろいろあるけれど、脳内で湧いては消え、消えては湧きの連続。本当は思ったその都度書き留めておくのが良いのだろうが、それも追いつかぬ(笑)。単なる邪念もあるだろうから余計なことはあえて残す必要もないのだろうけれど。

ヘンデルのイタリア留学のことをふと考えたお蔭で、頭の中で種々様々が廻った。そのすべてはもはや表現できないけれど、例えば、イタリア歌劇の功績。ヘンデルが祖国に持って帰ったお蔭でグルックやモーツァルトのオペラがあり、ということは結果的にベートーヴェンやワーグナーにつながってゆくある種源がそこにあったということになる。それとそもそも「歌」というもの。現代のポピュラー音楽にしても、人は「歌」を主に聴く。つまり、歌詞によって心を動かされることが多いということだ。ということは、残念ながらこれまで僕はどちらかというと無視していたけれど、リートやメロディという「歌曲」については作曲家が「想い」を伝える上で最も重視していたジャンルなのではないのかと今更気づいた。何だか愕然とした。相当に時間を損してしまった、そんな気持ち。

例えば、あまり注目されないけれど、ハイドンの歌曲を聴いてみると、実はここが原点で、ベートーヴェンを経てシューベルトやシューマン、ブラームス、そしてマーラーからヴォルフにつながる大本なんだということを確認する(とにかくソナタ形式の確立を含めハイドンの功績は大きい)。古今の作曲家の「歌」にもっと注目してみようか・・・。

ヘンデルの「天才」のひとつに自主独立の精神と類稀な行動力にある。20代前半の彼はイタリア遊学中、数年で都市という都市を巡り、当代の多くの作曲家たちと交流を持った。フィレンツェではアレッサンドロ・スカルラッティ、ローマではコレッリやドメニコ・スカルラッティ、再度のフィレンツェではステッファーニと行動を共にした。
人生において師や切磋琢磨できる友の存在は大切だ。しかしそれは自らが探し出さないと巡り合えない。そこに「偶然」はないだろう。行動を起こすがゆえに「出逢い」があるということだ。

さて、直接ヘンデルが出逢ったかどうかはわからない。しかし、同時期にナポリで活躍した作曲家たちの音楽を集めた音盤を見つけた。いわゆる「ナポリ楽派」と呼ばれる音楽家たち。

・フランチェスコ・ドゥランテ:マニフィカト変ロ長調
・エマヌエーレ・アストルガ:スターバト・マーテル
・ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージ:詩篇「主よ、汝に告白せん」
アン・モノイオス(ソプラノ)
バルタザール・ノイマン合唱団
トマス・ヘンゲルブロック指揮フライブルク・バロック管弦楽団

スペイン継承戦争の影響で荒廃していた土地とは思えない明朗な歌。しかしながら静かにじっくりと耳を傾けてみると、やっぱりそこには「悲しみ」が横たわる。それと、軸の安定した「不屈の精神」をそこかしこに垣間見る。
アストルガの「スターバト・マーテル」が聴きもの。清楚で静けさに満ち充ち・・・。ペルゴレージの詩篇は・・・、いわずもがな。
ちなみに、ドゥランテの師はアレッサンドロ・スカルラッティ。そしてアストルガの師はフランチェスコ・スカルラッティ(アレッサンドロの弟)。
そういえば、ローマ滞在中、ヘンデルはドメニコ・スカルラッティ(アレッサンドロの息子)とチェンバロ演奏で勝負し、結果は引き分けになったのだと(オルガンではヘンデルの勝ち・・・笑)。
国土がどんなに荒廃しようと(いや、荒廃したがゆえか)当時の群雄割拠の音楽の都イタリアは魅力的だ。

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