ハンガリー弦楽四重奏団 ベートーヴェン 四重奏曲第12番作品127(1953.9.7録音)ほかを聴いて思ふ

最も腕の立つ者共よ!
各人はここに各々のものを受け取り、次のことを義務として受け止めろ。即ち、名誉にかけ、最善を尽し、自己を発揚し、相互に競い合うことを誓うものである。
以上のことに協力する各人はそれぞれこの書面に署名するものなり。
ベートーヴェン
秘書 シンドラー

(ヴィーン 1825年3月)
小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(下)」(岩波文庫)P161-162

自身の創造物が、はっきりと異彩を放つものであることを作曲者はわかっていた。
シュパンツィヒがヴァイオリンという楽器の性質上、演奏、表現の上に限界がある、あなたの曲はそれを無視している、と苦情を言ったとき、ベートーヴェンは次のように答えたといわれる。

精神が私に語りかけている時に、君の哀れなヴァイオリンのことなど考えていられると思うか。
~同上書P167

天晴れ、である。
ロシアの貴族ニコライ・ガリツィン侯爵の依頼により最初に書かれた弦楽四重奏曲変ホ長調作品127。推敲に推敲を重ねてようやく1825年2月に完成、3月6日にシュパンツィヒ弦楽四重奏団により行われた初演は、聴衆、批評家ともども不評だったそうだ。

第1楽章マエストーソ、短い序奏から、高貴な音調が映える。少なくともその15年前に完成されたヘ短調作品95「セリオーソ」とは明らかに内なるエネルギーが異質。もはやベートーヴェンは現世の苦境を魂の上では乗り超えたであろう、悟りの境地の入り口にあるような印象。アレグロの主部の、流れるような歌は、何て勢いがあり、また力強いのだろう。ゾルタン・セーケイ率いるハンガリー弦楽四重奏団の思い入れたっぷりの演奏が美しい。
また、第2楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポ・エ・モルト・カンタービレの安寧は、聴覚を失った楽聖であるがゆえの静けさであろうか。後期様式の緩徐楽章の持つ祈りの力よ。

ベートーヴェン:
・弦楽四重奏曲第11番ヘ短調作品95「セリオーソ」(1953.9.28録音)
・弦楽四重奏曲第12番変ホ長調作品127(1953.9.7録音)
・大フーガ変ロ長調作品133(1953.9.18録音)
ハンガリー弦楽四重奏団
ゾルタン・セーケイ(ヴァイオリン)
アレクサンダー・モシュコフスキ(ヴァイオリン)
デーネシュ・コロムサイ(ヴィオラ)
ヴィルモシュ・パロタイ(チェロ)

第3楽章スケルツァンド・ヴィヴァーチェは、いかにもベートーヴェン後期のスケルツォ楽章であり、大らかでまた深遠。そして、終楽章の、特に展開部の巧みな音楽が心に響く。

作品127は、3月18日の再演では、シュパンツィヒに代わりヨーゼフ・ベームが第1ヴァイオリンを務め、成功を収めたという。なお、シュパンツィヒの失敗に懲り、(耳の聞こえない)ベートーヴェンはベームの練習に立ち会って、逐一指示を出したそう。

ベートーヴェンは部屋の一隅にうずくまって、何も聴こえないのに、ただ緊張した注意力で弓使いを目で追い、テンポ、リズムのいささかの乱れにも注意して進めていった。終楽章の終わりで“メノ・ヴィヴァーチェ”(ヴィヴァーチェよりもゆっくりと)と指定されている箇所をベームは自分の解釈で同じテンポで弾いていくと、ベートーヴェンは最後の弓を弾き終えた時、“その通りにしてよろしい”と言って、譜面台の所に行って“メノ・ヴィヴァーチェ”の指定を消してしまった。
~同上書P167-168

恐るべき心の耳!!また、精神の集中力!!
ハンガリー弦楽四重奏団による大フーガ作品133がまた素晴らしい。

人気ブログランキング


4 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。このCDを聴いてみました。 今まで後期弦楽四重奏曲を聴くたびに、ベートーヴェンは手の届かないところに行ってしまったような気がしていましたが、このハンガリー四重奏団の演奏は楽しめました。まず速度が速いことに驚きました。さながらジンマン・トーンハレのカルテット版のような。(私の贔屓にしているグァルネリカルテットと比べると、どの楽章も40秒は速く、2楽章ときたら2分はたっぷり速いです)そのせいか少しわかりやすく感じました。2楽章の美しさ深さに感銘。3・4楽章は、俗世の人間的な喜びや哀しみ、愛情や勇気、道徳や倫理などから離れ、純粋に音楽の楽しさ面白さを喜んで解放しているような印象を受けました。まさに精神がベートーヴェンに語りかけていたんですね。人間の演奏技術のことなどどうでもいいと。かわいそうなシュパンツィヒ。なるほど12番はいままでよりも難易度が高い感じです。ベームがより難しくしたのでしょうか。一糸乱れぬハンガリーカルテットの技術はすごいですね。とまあ、まだまだ鑑賞が浅いですが。
 12番の練習の場面、ベートーヴェンと演奏者の生々しい現場が感じられて感謝します。ベートーヴェンの手紙をいつか読みたいです。ありがとうございました。

返信する
岡本 浩和

>桜成 裕子 様

ジンマン指揮トーンハレの「ミサ・ソレムニス」が余程の衝撃だったようで、ご紹介することができとても良かったです。
ベートーヴェンの後期四重奏曲という大傑作をものにするにはともかく繰り返し様々なタイプの演奏を聴くことだと思います。
ほんのわずかにせよ貢献できていることに僕も喜びを感じます。
引き続きよろしくお願いします。

返信する
桜成 裕子

岡本 浩和 様

 前の岡本様のコメントですが、「ほんのわずか」なんてとんでもありません。
「アレグロ・コン・ブリオ」に導かれてクラシックの森を歩いているようなものです。このブログに出会わなければ、少なくないCDがそのまま聞かずじまいになっていたと思いますし、出会わずじまいの演奏もたくさん。紹介されている演奏を追体験することで曲の味わい方の参考にさせていただけます。作曲家や演奏者の手紙や著書やエピソード、その他関連する文学や哲学などを縦横無尽に引かれていて、どこまで広がっているのかわからない芸術の世界に感動します。さらにベートーヴェンの手引きをしていただけて感謝です!

返信する
岡本 浩和

>桜成 裕子 様

そんな風に言っていただけて嬉しい限りです。
何はともあれ12年綴り続けてきた甲斐があります。ありがとうございます。

返信する

岡本 浩和 へ返信するコメントをキャンセル

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む