体調を崩す人が多いですね・・・

lutoslawski_pederecki_cage_mayuzumi.jpg季節の変わり目というか、ここ最近の気温差のあまりの高低差によってなのか、身体を壊す人が増えているようだ。風邪をひいたり、湿疹が出たり・・・。第37回「早わかりクラシック音楽講座」も無事終了したが、体調不良によるドタキャンが続出した。

どうもホルストは分が悪いようだ。2月に開催する予定だった際も、諸般の事情で延期になり、またもや今回もこの有様。彼の生涯や思想を探ってみると、多分にスピリチュアル的要素がみられ、幼少時の愛の欠落を埋められないまま喘息や病気と闘い、かつ精神的不安定の中で生涯を送ったことが手に取るようにわかる。彼が組曲「惑星」を生み出したきっかけは占星術に興味をもつようになったことのようだが、あえて深読みしてみると、現代人にもよくあるように、何かにすがりたいという「依存心」からだったのかもしれないと思うようになった。とはいえ、そういう事実があったがゆえに名曲「惑星」が生まれ得たわけだから、人間ひとりひとりの体験には一切無駄がなく、どんなことでも「今」に活かせる、そういうものなんだということも確認できてとても良かった。

スピリチュアリズムと現実世界のバランスがとれなくなっている人が多くなっている。目に見えること、見えないこと、両方あっての「現実」なのだということを決して忘れてはならない。19世紀もそうだったのだろうが、世紀末というのは不安と希望が入り乱れ、いろいろな意味で世の中が荒れる。芸術の世界も然り。そんな時代であるがゆえに、革新的な、何か新しい潮流が生まれ得る。バレエ・リュス率いたディアギレフの出現然り、そして彼から才能を見いだされたストラヴィンスキー然り、さらにはディアギレフの委嘱により作品を創出した多くの芸術家(ドビュッシー、ラヴェルをはじめとした大音楽家たち)然り。初演当時は大変な騒ぎを起こしていた彼らの音楽も今では名曲として位置づけられているところが面白い。

ルトスワフスキ:弦楽四重奏曲(1964)
ペンデレツキ:弦楽四重奏曲(1960)
黛敏郎:弦楽四重奏のための前奏曲(1961)
ケージ:4パーツの弦楽四重奏曲(1950)
ラサール四重奏団(廃盤)

20世紀半ば以降に生まれた現代音楽の諸作品についても、その初演当時は物議を醸したものが多いと聞く。この音盤に収められた諸作品が、当時どのように迎え入れられたのかは勉強不足で知らないが、こういう前衛的な音楽も、現代では普通にクラシック音楽として通用するのだろうか。少なくとも僕の中では十分「古典音楽」の一ジャンルに属する音楽であることは間違いないと思えるのだが。

ルトスワフスキが弦楽四重奏曲を作曲した1964年は僕の生年でもある。あの時代にこういう音楽が現れていたことを考えると、昭和30年代の時代が持っていた、というより秘めていた「地下エネルギー」というか目に見えないパワーの凄さに今更ながらに畏敬の念を覚える。ロックやジャズの世界でもそうだが、「わかっていた」芸術家、アーティストは皆反骨心旺盛だった。ともかく体制に飲み込まれないよう、自分軸をぶらさないよう、自己とも外の世界とも闘った。今の時代はああいう力強さが欠けている・・・。

強くならねば。それにはそれぞれが真に愛し合わねば・・・。エネルギーの交換・・・。


3 COMMENTS

雅之

おはようございます。
ご紹介の現代音楽の弦楽四重奏曲で、私がある程度語れるのは、ジョン・ケージの「4パーツの弦楽四重奏曲」だけです。昨年末に白石美雪 著「ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー」(武蔵野美術大学出版局 2009年10月1日 初版)という新刊本を吉田秀和さんが絶賛されているのを新聞で目にし、今年の正月に買って読みました。「4パーツの弦楽四重奏曲」についても、楽譜を引きながらの曲の構造の説明が、とてもわかりやすくて為になりました。私もこの本、ご一読をおススメします。
リズム構造なども、とても数学的で凝った曲です。同本によりますと、〈ヒンドゥーの思想に基づいて四つの楽章が四季の恒久的な性格と結び付けられ、第一部「静かに流れて」はパリの夏、第二部「ゆっくり流れて」はアメリカの秋、カノンによる第三部「ほとんど静止して」は冬、第四部「クォドリベット」は春を表現している〉そうです。
ホルスト「惑星」もそうですが、ヒンドゥーやサンスクリットといった、インドの思想の影響下にあるところが、コルトレーンやジョージ・ハリスン、ジョン・レノン達と同じく、いかにも20世紀的です。
ドビュッシーやイギリス音楽が苦手のご様子ですが、これだけは個人個人の趣味の領域で、波長が合う、合わないもありますし、仕方がないことですよね。音楽は理屈ではなく、好きか嫌いかだけが各人の価値基準なのですから・・・。私も苦手分野は目茶目茶多いですが、時間とともに嗜好が変わることもありますし、別に気にはしておりません。
ところで、西洋音楽は、楽譜が読めても読めなくても、楽譜を図形のグラフィックとして味わうという楽しみかたもあります。例えば、ドビュッシーやケージの譜面のパッと見の印象は、バッハやベートーヴェンのそれとはずいぶん違います。
Debussy Prelude Book 1 No.7
http://www.youtube.com/watch?v=RNcvnOwxFrA
Cage- Etudes Australes Book I No. 1
http://www.youtube.com/watch?v=JohydSPuNkY&feature=related
最近は上記のようなYou Tubeなどを利用しても、楽譜に気軽に親しめるようになってきていますね。楽譜を「読もうとする」のではなく「気軽に眺める」って、けっこう楽しいですよ。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
お薦めのケージの本は興味深いです。読んでみます。
>インドの思想の影響下にあるところが、コルトレーンやジョージ・ハリスン、ジョン・レノン達と同じく、いかにも20世紀的です。
ほんとですね。そう考えると、インドの思想って何なのかを追究したくなります。
ドビュッシー、イギリス音楽、確かに苦手分野ですね。しかし、毎日コメントをいただけて、しかも毎々新しい発見、気づきをいただけるというのはありがたいことです。雅之さんにお会いすることができてよかったです。感謝いたします。これを機に苦手分野も少しずつ克服していきたいと思います。いろいろと教えてください。
>楽譜を「読もうとする」のではなく「気軽に眺める」って、けっこう楽しいですよ。
確かにー!そういう肩の凝らない聴き方、見方というのもありますね。勉強になります。

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