僕はこの人を随分侮っていたのだと思う。
もちろんスタジオに籠っての録音よりはライヴで力量を発揮する人なのだと思う。それでも、お国ものはさすがに自家薬籠中の安定感がある。
1865年、24歳のときに作曲されたアントニン・ドヴォルザークの交響曲第2番変ロ長調作品4。50分を優に超えた大交響曲の伸び伸びとした、確信に満ちた音調は、若きドヴォルザークが創作に自信を深めている証だが、ラファエル・クーベリックは音楽の隅から隅まで共感し、旋律を歌わせ、オーケストラを堂々と鳴らす。
分かち合う心に通じる、そして共感を喚起する演奏が人々の感動を呼ぶのだと思う。
1888年3月の初演時、聴衆はこの音楽をとても気に入ったそう。
それは、多少の民族色を保持しながら、独墺古典派の形式の中に見事に収める作曲家の技量の勝利ともいえる。
・ドヴォルザーク:交響曲第2番変ロ長調作品4
ラファエル・クーベリック指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1972.12録音)
第1楽章アレグロ・コン・モートに感じる大自然の息吹は、ボヘミアの森の木霊なのか。あるいは、第2楽章ポコ・アダージョのセンチメンタルな、そして呼吸の深い音調は、作曲者の美的センスが果敢に発揮されたところといえまいか。
素晴らしいのは第3楽章スケルツォ(アレグロ・コン・ブリオ)。冒頭の、仄暗い、そして優しい序奏から活気ある主部に至る経過の美しさ。
さらに、終楽章アレグロ・コン・フオーコは、演奏者が何より音楽を作る喜びに満たされる、実にポジティブな様相を示すもの。
そうやって考えると、ドヴォルザークの音楽自体に、僕たちの精神を和らげる、現実肯定の雰囲気がある。聴く者は、それゆえに心揺さぶられ、生きることにモチベートされる。ベルリン・フィルの鉄壁のアンサンブルがまたものを言うようだ。
ちなみに、ドヴォルザークは「鉄ヲタ」だったそう。毎日のように最寄りの駅に通いつめ、列車を眺めては悦に浸り、終いには時刻表まで完璧に頭の中に入っていたのだと。
本物の機関車が手に入るのだったら、これまで自分が作った曲のすべてと取り替えてもいいのに、とは本人の言。その集中力(?)こそが音楽創造の鍵だったのかもしれない。恐るべし。