
1962年、カール・ベーム渾身の、バイロイト音楽祭の楽劇「トリスタンとイゾルデ」。
ビルギット・ニルソンの回想をひもとく。
ベームはこの《トリスタン》公演の際、私生活でも辛いときであった。大きな支えであった妻テアが、退院できるかどうかもわからないような難しい手術を控えていたため、指揮をしながら涙をぬぐう姿もしばしば見られた。《トリスタン》の解釈も彼女に捧げているように感じられた。嬉しいことにテア・ベームは、再び元気になり、バイロイトで《トリスタン》が上演された7年間、夏の間ずっと観客席に座っていた。
~ビルギット・ニルソン/市原和子訳「ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯」(春秋社)P308
こういうプライヴェートの事実は一般にはよほどでなければ知られない。
事態が演奏に大きな影響をもたらすことは間違いなく、山あり谷ありという状況がかの「トリスタン」を歴史的名演奏に仕立て上げたのだろうと思う。
ヴォルフガング・ヴィントガッセンは、またもや素晴らしいトリスタンで、以前より円熟味を増していた。信頼できる献身的な侍女ブランゲーネを見事に歌ったカースティン・マイアは、イゾルデがトリスタンとの逢びき中、マルケ王に気づかれずに闇夜にまぎれて夫婦の寝室で女主人の身代わりになるではといった疑念を一瞬でも抱かせない。ヴィーラントは、理想的なブランゲーネを見つけるのは難しいとよく言っていた。
~同上書P308-309
謙虚であり、歌唱もうまく、演技も抜群だという歌手がどれほどいるのか。マイアは稀代のブランゲーネ役なのだと思う。
ヨーゼフ・グラインドルは感動的なマルケ王に高貴な威厳を添え、エーベルハルト・ヴェヒターは若々しいクルベナールを演じ、ニルス・モラーは力強いメロートだった。ゲルハルト・シュトルツェは羊飼い、ゲオルク・パスクダは水夫役で、端役などいないことを証明してみせ、若きテノールのハンス・ハンノ・ダウムは舵取りの役を任せられた。
~同上書P309
歌手陣の力量もさることながらこの時の舞台は、ヴィーラントの新バイロイト様式と名づけられた抽象的な演出が功を奏し、一層刺激的なものになったという。
ヴィーラントの天才的な照明術は、舞台装置をほぼ無用なものにした。巨大な男根のオブジェを除いて、舞台は空だった。映写、色彩、照明で雰囲気を醸しだし、しかもワーグナー音楽におけるロマンティックで劇的な物語をいっそう強調する独特の技法は今までにないものだった。
~同上書P309
関わったすべての人たちがしばし成功の余韻に浸るほど、この年の「トリスタン」は最高の出来だったそうだ。そして、その後も指揮をとったベームが、ついに聴衆を入れての各幕ごとにゲネプロをDGに収録させたのが1966年の夏だった(歌手陣の布陣は多少の変更はあるが、当時全盛期を誇るワーグナー歌手が顔を揃える)。
推進力抜群でありながら濃厚さを失しない、生気溢れる官能のオペラに60年近く経た今も感動を隠せない。
その昔、いまだ「トリスタン」について語るほどの知力を持っていなかった大学生の頃、同級生でやたらとワーグナーに詳しい、第2幕の恍惚たる官能について詳細に演説する輩がいた。ショルティの演奏だったのか、あるいはこのベームのものだったのか、内容はすっかり忘れてしまったが、当時はせいぜい前奏曲とイゾルデの愛の死を繰り返し聴くに留まっていた僕にワーグナーの門戸をほんの少し開いてくれたのは彼だった。
確かにトリスタンとイゾルデが性愛に目覚める第2幕の言葉にならない恍惚の美しさは、ベーム盤に太鼓判を押す。すっきりしたテンポながら異様な熱量に圧倒され、ヴィントガッセンとニルソンの慈悲と智慧に満ちる歌唱に快哉を叫ぶのだ。あれから41年、つい先年、その彼は癌で亡くなったのだと風の噂で聞いた。合掌。