朝比奈隆指揮大阪フィル モーツァルト レクイエムK.626(1991.12.5Live)

モーツァルトの真実。モーツァルトはやっぱり人間だった。

モーツァルトの最後の年となる1791年の6月、妊娠中のコンスタンツェは足の痛みがひどくなったということで、いつものようにバーデンまで温泉治療に出かける。6月4日のことである。それから7月中旬まで1ヶ月半ほどそこに滞在してウィーンに帰る。7月26日、モーツァルトに末の男の子が誕生した。
この間バーデンには、モーツァルトの指示で若い音楽家フランツ・クサヴァー・ジュスマイヤーがコンスタンツェに付き添っていた。彼はモーツァルトの死後、コンスタンツェの依頼でレクイエムの遺稿に補筆する男として知られている。モーツァルトはこのとき生まれた子にフランツ・クサヴァーという名前をつけた—ジュスマイヤーの名である。モーツァルトにしてみれば、この子は自分の子ではなくジュスマイヤーの子であるのにまちがいないのだ。彼は極めて大胆率直に妻の間男の名をこの子につけたというわけである。

石井宏「モーツァルトは『アマデウス』ではない」(集英社新書)P230-231

ザルツブルクからもウィーンからも嫌われたヴォルフガング。
わずか35歳にしてアントニオ・サリエリに毒殺されたとされるヴォルフガング。
そして、最後は妻コンスタンツェとの仲も崩壊していたヴォルフガング。
さらには、鎮魂曲作曲の筆を死によって折らざるを得なかったヴォルフガング。
この世に思念を残さずして死に切れなかったことだろう。
それから200年の後、極東の地にて。

1991年12月5日の大阪はいずみホール。
朝比奈隆の生涯でただ一度きりの、モーツァルトのレクイエムニ短調。
この、未完の、不世出の鎮魂曲が何と厳粛に、かつ浪漫の光を背負い歌われることか。
朝比奈御大本人が納得し、大のお気に入りだったといわれる演奏であるにもかかわらず、老巨匠はどうしてその後この作品の演奏を封印してしまったのか。実演に触れることのできた聴衆が心底羨ましい。

第1曲入祭唱から、音楽は思い入れたっぷりにうねり、哀感を装う。
いつもの御大らしい、愚直でごつごつした響きでありながら、否、であるがゆえの哀しみの煽動。この最初の一投で、僕たちは最晩年のモーツァルトの純白の世界にあっという間に誘われるのである。オーケストラは熱い、そして4人の独唱者はそれぞれが死後200年を迎えたモーツァルトの魂を癒さんと想いを込めて歌う。何より合唱の壮絶さ。

・モーツァルト:レクイエムニ短調K.626(ジュスマイヤー版)
豊田喜代美(ソプラノ)
西明美(アルト)
若本明志(テノール)
福島明世(バス)
京都シティ・フィル合唱団
京都バッハ合唱団
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1991.12.5Live)

「ラクリモサ」のシーンでは思わず感涙。
聴後、言葉にならない感動が全身を襲う。
いわくつきの作品が、これほどまでの真実味をもって奏されることがかつてあったのだろうか。

朝比奈協会頒布の非売品音盤。なお、権利関係諸々の都合だろう、指揮者以外のクレジットは記されていない。

人気ブログランキング


6 COMMENTS

H. Hita

1991年12月5日いずみホールでこの実演を体験した者です。まさに「渾身」の演奏でした。演奏会と云うよりも「森厳な出来事に居合わせた」と身体が記憶しています。終了後かなりの時間余韻が抜けず、止まらない涙のために大阪城公園駅のホームで数本の電車を見送ってしまいました。この演奏は直後にFM放送されてカセットテープ録音したのですが、擦り切れてしまい紛失しました。以降30年近くこの音源を探していますが、CD化されたのは非売品で入手不可ですので、ご所蔵されていらっしゃる方を心底羨ましく存じます。何とかもう一度拝聴したいものです。

返信する
岡本 浩和

>H. Hita 様

こんにちは。コメントをありがとうございます。
そうでしたか! CDでも相当の感動を喚起しますので、実演となると想像を絶するものだったのだろうと思います。
羨ましい限りです。
本CDですが、かつて2枚所蔵しており、愛好の氏とこのブログ上のやり取りで、1枚を差し上げたことがありました。
https://classic.opus-3.net/blog/?p=2166

振り返ってみるともう10年以上前なのだと吃驚です。
音源を焼いて差し上げることは可能ですので、もしご所望でしたら遠慮なくメッセージください。

返信する
H. Hita

岡本様
早々にご返信を戴きまして恐縮です。
1990年代の朝比奈師・大フィルは黄金期でした。演奏会数も多くまた意欲的な演目に取り組くまれ、当時関西在住だったことは天恵でした。本当に朝比奈師の音楽にどれほど助けられた事か分かりません。
さて「いずみホールのモツレク」ですが、もしもご高配に甘えさせて頂ければ誠に幸甚です。
何卒宜しくお願い申し上げます。

返信する
岡本 浩和

>H. Hita 様

ありがとうございます。僕も80年代後半から東京の公演はできる限り聴くようにしておりました。数々の名演奏は一生の宝物です。

「モツレク」の件、了解です。
個別にメールで連絡させていただきましたのでご確認ください。

返信する
H.Hita

岡本様
お送り頂きました録音盤を拝聴致しました。
冒頭から最後までもの凄い緊張感です。当日現場でも感じた事ですが、これは神聖で荘厳な「法要」です。
宗教・宗派を超えた汎人類的な法要です。まさに一期一会。朝比奈師がこの録音を封印した真意が分かる気がします。当日1991年12月5日はW.A.モーツァルト200回目の命日でした。
本当に有難うございました。

返信する
岡本 浩和

H.Hita様
神聖で荘厳な「法要」とは言い得て妙ですね!
たった1度の、奇蹟的な現場におられたことが本当に羨ましく思います。
こちらこそ実際のコンサートに触れられた方のお声が聞けて良かったです。
引き続きよろしくお願いします。

返信する

岡本 浩和 へ返信するコメントをキャンセル

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む