犬も歩けば棒にあたる

犬も歩けば棒にあたる。
牛込柳町から新宿東口まではちょうど3キロの距離。大人の足で約35分。時折、金木犀の甘い匂いが漂う中、そういえば小学生の頃も自宅から学校まで片道3キロの道のりを毎日往復していたなと思い出す。子どもの足だから45分くらい、あるいは途中道草を食いながら1時間近く歩いていたような・・・。あのの頃は相当な山奥に生まれ育ったことを忌み嫌っていた傾向があったが、そのお蔭で「歩くこと」にまったく抵抗がないようで、大人になった今も余程の状況でない限り基本的に歩くようにしている。特にここ数年はそう。健康のためには良いのはもちろんだが、何が楽しいかって、歩いていると新しい発見があるから。例えば、普段使わない裏道を通ったり、あえて違う道を選んで遠回りしたり。時にまるで知らない光景に出くわし、不思議な懐かしさを覚える瞬間もあれば、気になるお店を見つけたり・・・。行動パターンを変えて新しい道に挑戦することって大事なことだなとしみじみ感じながら歩く、歩く、歩く・・・。

何日か前からロマノフ王朝最後期に活躍した音楽家たちの優れた作品を、深まりゆく秋の雰囲気を全身で感じながら聴いている。ラフマニノフの音楽はあまりに感傷的だ。そして、時に感情の押さえられない爆発を伴う。一方、モスクワ音楽院で同窓だったアレクサンドル・スクリャービンの音楽は、特に初期のものはあまりに浪漫的でハイセンスなのに、いつの頃からか神秘主義の名の下、恐ろしいまでに凝縮された独自の世界を築き上げ、一般大衆には理解し難い境地に及んでゆく。まるで新興宗教のような閉ざされた世界。
しかし、彼の世界がクローズであればあるほど、一旦聴きどころを押さえてしまうと病的なまでの執拗さに逆に惚れ込んでしまう。色川武大の「狂人日記」のBGMに似合う・・・、そんなスクリャービン・ワールド。

スクリャービン:ピアノ・ソナタ全集
・ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調作品6
・ピアノ・ソナタ第2番嬰ト短調作品19「幻想ソナタ」
・ピアノ・ソナタ第3番嬰へ短調作品23
・ピアノ・ソナタ第4番嬰ヘ長調作品30
・ピアノ・ソナタ第5番作品53
・ピアノ・ソナタ第6番作品62
・ピアノ・ソナタ第7番作品64「白ミサ」
・ピアノ・ソナタ第8番作品66
・ピアノ・ソナタ第9番作品68「黒ミサ」
・ピアノ・ソナタ第10番作品70
ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)

第6番以降がCDの2枚目に収められているが、そのすべてが単一楽章で、あくまで「スクリャービン」という同一の色彩感に覆われているもののそこに一つの宇宙(「独自的世界)が形成される。特に、アシュケナージの解釈はさすがに見通しが良く、非常にわかりやすい。踏み外しや誇張がない分、正当で純粋なスクリャービンの音世界が十分に堪能できるところが素敵。

後期のスクリャービンを苦手だという方は多いようだが、こういう音盤を繰り返し耳にすることで苦手感は乗り越えられると思うのだけれど・・・。
音楽の世界も逍遥が大切。あてもなく、時に道順を変えながら、自分の知らない世界に足を踏み入れること。勇気というより好奇心・・・。

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