ハイドシェック モーツァルト ソナタ第16番K.570(1991録音)ほかを聴いて思ふ

1ヶ月前、長崎を訪れたとき、雨だった。
今日、1年ぶりに訪れた広島は4月とは思えぬ寒さ。
期せずして被爆の地を1ヶ月ほどの間に続けざまに訪問したことになるのだが、空気は決して暗くないのにも関わらず、何だか泣いているように思った。

晩年のモーツァルトがそうだ。
呪縛からの解放から生まれた哲学的要素は、一面、落ち着き払った大人の音楽だ。もはや人間の創造物とは思えぬ清澄な光を発する摩訶不思議。言葉にできないニュアンスと、感性に満ちる音調の支配。過去にも未来にも、誰にも創り得なかった奇蹟。
ソナタ第16番変ロ長調K.570。1789年2月作曲。
第1楽章アレグロ、低音部からの暗い囁きに感応する高音部の優しい歌。
そして、完全なる相似を呈する第2楽章アダージョの慈しみ。エリック・ハイドシェックのピアノは、ここでは大人しく、モーツァルトの心に寄り添う。何て美しい。短い第3楽章アレグレットの自由闊達な飛翔!

エリック・ハイドシェックはかく語る。

自分が心に描いた音楽を楽譜の上により明確に表現するようになったのはベートーヴェンが初めてである。

モーツァルトの場合は、我々のイマジネーションに委ねられているのだ!
1992年3月17日、パリにて。
(斧由香訳)

確かに彼の演奏はある意味傍若無人だ。モーツァルトの精神を破壊していると言っても過言ではない。しかし、モーツァルトはそれで本望だと僕は思うのである。なぜなら、モーツァルト自身が破壊者であり、また創造者であったから。

モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集Vol.III
・ピアノ・ソナタ第16番変ロ長調K.570(1991.1.31-2.2録音)
・ピアノ・ソナタ第17番ニ長調K.576(1991.1.31-2.2録音)
・ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310(1992.7.27-28録音)
・ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330(1992.7.27-28録音)
エリック・ハイドシェック(ピアノ)

ソナタニ長調K.576第2楽章アダージョがまた美しい。極めつけは、モーツァルトのピアノ・ソナタの最後を締めくくる終楽章アレグレットの喜び!

そして、ソナタ第8番イ短調K.310!!
第1楽章アレグロ・マエストーソの絶妙なルバートを伴う切迫のドラマ。ハイドシェックの指が回りまくる疾駆。音楽的だ。

あるいは、ソナタ第10番ハ長調K.330は、暴れ馬の如し。全盛期のモーツァルトの光と翳。第1楽章アレグロ・モデラートのテンポは揺れ、フレーズは伸縮し、踊る。アタッカで続く第2楽章アンダンテ・カンタービレの粘る愁い。さらに、終楽章アレグレットでは、ハイドシェックが唸る。独特の間のとり方が彼らしい。素晴らしいのは音楽の勢いだ。

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