
天才のひらめき。
ブラームスは、創造の源泉は霊感だが、それだけでは普遍的な作品は生まれず、構成力、すなわち技術が伴うことが必須だという。バッハもモーツァルトも、もちろんベートーヴェンもその両方を兼ね備えた天才だが、ショスタコーヴィチも同様の(稀に見る)鬼才であることを忘れてはならない。
ショスタコーヴィチはまた類稀なる技量を誇るピアニストでもあった。
まるで自分の身体の一部であるかのように、彼はピアノを自在に操る。
それゆえに、ピアノを伴う彼の作品は、どれもが(彼らしいいつもの)諧謔性と、深層に秘める絶美の旋律に溢れている。何よりその開放感、自分らしさの発現とでもいうのか、抑圧的な環境にあって、信じられないくらいの外向的なエネルギーに音楽が彩られるのだ。
イェフィム・ブロンフマンのピアノ。
眞鍋圭子は彼を「繊細さが溢れる感性の玉手箱、極彩色のパレットを内に秘めるピアニスト」だとしたが、文字通り、彼の弾くショスタコーヴィチは、変幻自在の色彩を帯び、時に激しく、時に静かに、見事な移ろいを見せ、聴く者を刺激する。
サロネンの指揮は相変わらず冷たく、精密だ。何より音楽再生の構成力が素晴らしい。第2番ヘ長調第2楽章アンダンテの、ピアノを包み込む、癒しの伴奏と、それに触発され、可憐に、愛を囁くように歌うブロンフマンのピアノが一体となり、ショスタコーヴィチの感性を超える。人の手によって成ったものとは思えぬ美しさ。
それにしても、一層の調和を見せるのが、ジュリアード弦楽四重奏団との五重奏曲。
泣きの弦楽器に完璧に対応する喜びのピアノ、あるいはその逆。
第4楽章「間奏曲(レント)」の神秘、また、音楽の抑揚の妙味。
さらには、終楽章アレグレットの、堂々たる表現には、いかにもショスタコーヴィチの魂宿る。「素晴らしい」の一言。
努力を無駄にしてはいけない。仕事をし、演奏をするんだ。あなた方はこの国で暮しているのだから、何でもありのままにみなければいけない。錯覚を生み出さないように。これ以外の人生はないんだ。ありえないんだよ。あなた方がまだ呼吸をするのを許されていることに感謝したまえ!
「ガリーナ自伝」
~「ショスタコーヴィチ大研究」(春秋社)P111