ロストロポーヴィチ サージェント指揮フィルハーモニア管 サン=サーンス協奏曲第1番ほか(1956.3録音)を聴いて思ふ

ロストロポーヴィチのチェロが歌う。
何て音楽的なのだろう。揺るぎない、安定感。どんな作品もすべては彼の手の内だ。
サン=サーンスのチェロ協奏曲イ短調。1872年作曲。
美しい旋律の宝庫。温かくも知性に満ちるチェロの音色が輪をかける。
第1楽章アレグロ・ノン・トロッポの、主題の愛らしさ。また、第2楽章アレグレット・コン・モートに溢れる詩情。そして、終楽章アレグロ・ノン・トロッポは、翻って実に雄渾な音調を湛える。音楽がどんな様相を示そうと、ロストロポーヴィチの楽器はうねる。強烈な波動をもって。

かつてガブリエル・フォーレは、カミーユ・サン=サーンスの音楽を次のように擁護した。

私は常に、このあまりに簡潔な意見に無関心でいました。が、私の意見を述べてみますと、サン=サーンスの音楽においては、知性が感性より支配的なのです。彼のすばらしい管弦楽曲のひとつを聴く喜び、かくも豊かで魅力に満ちた展開から成る曲想、そこでは、旋律美は実に明確で、読みとることができるほどの明快さを保っているのです。この喜びが、感動を欠いているものでしょうか。心より共鳴し得ない作品を聴衆が喝采するでしょうか。
ジャン=ミシェル・ネクトゥー編著「サン=サーンスとフォーレ~往復書簡集1862-1920」(新評論)P21-22

間違いない。

・サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番イ短調作品33
・ミャスコフスキー:チェロ協奏曲ハ短調作品66
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
サー・マルコム・サージェント指揮フィルハーモニア管弦楽団(1956.3.5-6録音)

半音階を多用したニコライ・ミャスコフスキーの、深沈たる表情で第1楽章(レント・マ・ノン・トロッポ)が開始されるチェロ協奏曲の深い悲しみは、第二次大戦末期に書かれただけあり、音楽の進行とともに忽ち消え、平和を取り戻すが如く浄化の音を喚起する。そして、アレグロ・ヴィヴァーチェに始まり、曲想が縦横に変化する第2楽章は、ロストロポーヴィチの弾くカデンツァが素晴らしく、同時に、第1楽章の楽想が回帰する終結が懐かしさの極み。
さすがに1945年度のスターリン賞第1席の栄冠に輝いただけある、20世紀も半ばの作品とは思えぬ浪漫。音楽は、ゆらゆらと揺れる。サージェント指揮フィルハーモニア管弦楽団の滋味溢れる伴奏に応えるようにロストロポーヴィチは渋く歌う。

そっと目を閉じてみると、世界がいかに音に満ちているかが分かる。鳥の声、風の音、木々のざわめき・・・。私たちは、地球のなかで、音に包まれていると言っていいだろう。
「耳をすます」
梅津時比古著「フェルメールの音—音楽の彼方にあるものに」(東京書籍)P84

すべては空気があるからだ。生きとし生きるものすべては、この同じ空気を分かち合って生きている。

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