
無愛想な態度をとってはいるが、彼は実際には優しい心の持ち主だ。私は何度もそうした面を見ている。彼は気づいているのさ―霊感が訪れる、あの超越的な状態にある時の彼自身の体験を具体的に知れば、後世の作曲家にとって大いに価値があるだろう、と。若い頃にあの秘密を知ることができたなら、私にも計り知れない価値があったはずだ。
~アーサー・M・エーブル著/吉田幸弘訳「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」(出版館ブック・クラブ)P116
ヨーゼフ・ヨアヒムのブラームスへの賞讃の言葉が、また、本心からの思いやりの言葉が温かい。人間離れした天才の、創造の瞬間を捉えた数々の言葉は、確かに凡人には理解し難い。しかし、高次の存在からのアクセスがあることは間違いない。
ヨハネス・ブラームスはかく語る。
経験から言えば、真に霊感を受けている者は2パーセントもいるかどうかだ。これは、私宛に送られてくる大量の手稿譜を根拠にしている。その5パーセントにも目を通していないが、それは健闘にも値しないからだ。ただウィーン音楽院卒の才能ある若い作曲家が二人おり、作品の良し悪しを見分ける目を鍛えているところだが、本当に価値のあるごくわずかな作品しか送ってこない。それは霊感に満ちた着想を示していても構造を欠いていたり、その逆だったりする。前にも言ったが、霊感と技量を併せ持っていなくては、作品が長い命脈を保つことはない。
~同上書P93
「霊感と技量を併せ持つ」とは、何事にも通じる、的を射た言葉だ。
ならば、ブラームスの創造の秘密は何か? 決定的な言葉がここにある(これだけで僕には十分。創造活動が天人合一の中にあったことの証だ)。
詩神を呼び出し、あの気分になる前だ。さきほど君たちに指摘したように、ゲーテやミルトン、テニスンの語った言葉を聞いて私の想像力がかき立てられるのを予期する前のことだ。それからあの高次の宇宙的な霊気を感じると、果の大詩人やバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンに霊感を与えた同じ力と触れ合っているのがわかる。その後で、意識しつつ求めていた着想がかなりの力と速さを伴って流れ落ちて来るが、つかもうとするのが精一杯で一部しか覚えていられない。すべて書き留めるのは絶対に無理だ。一瞬輝いたかと思うと、紙に書いておかなければたちまち消え失せてしまう。私の作品に残る主題というのは、すべてこんな具合にやって来る。それは常にあまりにも驚くべき体験であり、今までは誰にも話す気にならなかった、君にもだ、ヨーゼフ。私はしばし永遠の存在と調和している自分を感じる。これほどの戦慄を覚えることはない。
~同上書P103-104
ブラームスが生み出した数多の旋律の中で、彼が気に入っていたものはいくつもあるが、中でもピアノ協奏曲変ロ長調第3楽章アンダンテの、独奏チェロのあの愁いを帯びた旋律はことのほか美しい。ブラームスはこの旋律を、5つの歌曲作品105の第2曲「わがまどろみはいよいよ浅く」(ヘルマン・フォン・リングの詩)にも転用した。ここでのノーマンの歌は実に淡い。
あるいは、2つの歌曲作品91から第1曲リュッケルトの詩による「しずめられたあこがれ」は、ヴィオラのオブリガート付きで、ノーマンの嘆きの節がとても悲しく響く。
すでに鬼籍に入った2人の世界的歌手が、渾身の思いで歌うブラームス。
技量を超えたノーマンの愛、そして、フィッシャー=ディースカウの知性、いずれもが霊感に溢れる歌唱。悲しみや喜びや、そんな感情を超えた永遠普遍の音楽。
黄金の夕焼にひたされて
森は何と壮麗に見えることだろう!
夕べの風のなげきの音が
小鳥のささやきに交り入る。
風や鳥たちは何をささやくのか?
彼らは世を眠りにつかそうとしているのだ。
(フリードリヒ・リュッケルト詩/渡辺護訳)
心静かにあれとリュッケルトは歌う。その詩にブラームスは感化されたのだ。
ジェシー・ノーマンの声が魂にまで届く。
[…] にせよ、リヒャルト・シュトラウスにせよ、あるいは、プッチーニにせよ、天才といわれた作曲家の創造の方法はオートマチスムに則っているといっても過言ではないのだけれど。それ […]