
奇蹟の組み合わせ。
そこには終わりのない永遠が見られる。
ずっとその中に浸っていたいという夢幻の世界が広がるのだ。
1956年夏のウィーンは楽友協会大ホール。
欧州がモーツァルト生誕200年祭で盛り上がっていた年だ。
この歴史的なツアーの最後はモーツァルトの生誕200年祭でのウィーンへのデビューだった。この祝祭には、ベーム、ヴァン・ベイヌム、クリップス、カラヤン、ワルターなどの世界最高の音楽家たちが何人も出演していた。ムラヴィンスキーはモーツァルトの交響曲イ長調K.319、オイストラフとヴァイオリン協奏曲K.219、《フィガロの結婚》序曲を披露した。「レニングラード・フィルは最高クラスのオーケストラで、我々は彼らに最高アンサンブルの名誉を授与する。レニングラードは祝祭に参加したオーケストラの中で、最も完成されたオーケストラである。エヴゲニー・ムラヴィンスキーはこのオーケストラの偉大な巨匠でありトレイナーである」。この時のムラヴィンスキーのレパートリーには、チャイコフスキーの交響曲第5番と第6番とショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲も含まれていた。
~ グレゴール・タシー著/天羽健三訳「ムラヴィンスキー高貴なる指揮者」(アルファベータ)P224
モーツァルトの協奏曲におけるふくよかな音色、典雅な響きはオイストラフの音楽性によるものだろうが、ここでのムラヴィンスキーの、伴奏者に徹するあり方が、モーツァルトの音楽をますます有機的で愉悦に富むものに昇華する(要は「我なし」の、実に客観的な音楽が現出するのだ)。
(水も滴る有機的で明朗なモーツァルト!)
ショスタコーヴィチとの比較という点でも、同じ演奏家なのかと思うくらい表現の幅が180度異なり実に興味深い。
初演間もないショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲は、完璧にオイストラフの手中に収められているように思うくらい完全で素晴らしい。いかにもショスタコーヴィチらしい暗澹たる表情と、それを嘲笑うアイロニカルな表情の交錯は、オイストラフとそれを包むムラヴィンスキーの真骨頂。


第1楽章夜想曲(モデラート)の沈潜する暗い音響が堪らない。しかし、ここには抑圧された作曲者の思いの丈を表出する潔さがある。そのことをもちろんオイストラフも感じているのだろう、繊細に表現されるか細い音色に僕はショスタコーヴィチの喜びを思うのだ。
また、お道化た第2楽章スケルツォ(アレグロ)の弾け具合は、二枚舌ショスタコーヴィチの独壇場。
そして、この演奏の白眉は、第3楽章パッサカリア(アンダンテ)と続く第4楽章ブルレスク(アレグロ・コン・ブリオ)であり、何よりカデンツァでのオイストラフの独奏ヴァイオリンこそショスタコーヴィチの孤独な心情吐露であり、この音楽の創造によって彼の境地はさらに飛躍したように僕には思える(涙が出るほど感動的だ)。そのショスタコーヴィチ的展開は、呪縛からの解放だ。
このオーケストラは、コンツェルトハウス大ホールでさらに数日間を過ごし、チャイコフスキーの後期交響曲を録音した。クルト・ザンデルリンクがチャイコフスキーの第4番を(彼はまたベートーヴェンとラフマニノフの交響曲第2番を、後者はベルリンで録音した)、ムラヴィンスキーが交響曲第5番と第6番を録音したのである。第5番は6月26日から27日の3回のセッションで、《悲愴》は合間に1回の休憩をはさんで7時間にわたり一日で、それぞれ録音された。ドイツ・グラモフォン(DG)のプロデューサー兼録音技師のハインリヒ・カイルホルツとヴォルフガング・ローゼが、この《悲愴》セッションの責任者だった。記念碑的な録音となったのに、非常に効率的に行なわれたのも珍しいことだった。この場に居合わせたひとり、シラー教授は「これは英雄的行為だ」と叫んだ。これらのレコードは尋常ではない質の高さで多くの人々を驚かせた。
~同上書P224-225


実際にこのときのDGへの録音はモノラルながら素晴らしい。