
バッハのペンを追っていると、音楽がこうでしかありえないというように、最も自然に、シンプルに感じられてくるのです。そんな時、これもまた先の本に出てきたエピソードを思い出します。バッハがある時、自分のオルガン演奏を聴いた弟子がその素晴らしさに余り驚嘆するのをたしなめるように、「何も驚くにはあたらない、ただ正しい譜を正しい瞬間にたたけばいいだけだ、後はオルガンがしてくれる」と言った話です。これこそ演奏において一番むずかしいことではないでしょうか。アンナ・マグダレーナの述懐として、バッハには偉大さと謙虚さとが不思議に一つとなって彼の姿から輝き出ていた、とも書かれていますが、彼の音楽もそのとおりだと思います。それは、神を信ずる、神を讃美し仕えるという心に強く深く根付いているのでしょう。
(塩川悠子「尊い使命のあかし」)
~樋口隆一「カラー版作曲家の生涯 バッハ」(新潮文庫)P119
自粛期間中は、各地でバッハの音楽がもてはやされているのだと聞く。
バッハの音楽は不思議な力を持つ。飛び切り計算された緻密な形式の中に、凡人の想像を絶する、天才の創造の飛翔がある。
彼の飛び抜けた音楽的才能は、後のモーツァルトやベートーヴェンに影響を与えた。もちろんその後の天才たちにもだ。バッハは自発的に音楽を書いたが、しかし、どちらかというと必要に迫られて生み出したことに違いはない。生きる術としての作曲活動という意味で、彼の「仕事」は決していつも順風満帆ではなかった。
バッハは綴る。「きれいなソプラノを歌う」「現在の妻」や、最初の妻との間にもうけ、今は大学の法学部にいる長男、高等中学に通うその下の二人の息子たち、そして二番目の結婚から生まれた、まだ幼い子供たちのことを。音楽の理想を追うと同時に、養わなければならない大家族の長として、バッハはさまざまな顔を使い分けなければならなかった。
~加藤浩子著「バッハへの旅―その生涯と由縁の街を巡る」(東京書籍)P260
バッハがライプツィヒで、コレギウム・ムジクムで毎週のように演奏した自作の抜群の出来に舌を巻く。レパートリーの質だけでなく量にも。
《ヴァイオリン・ソナタ》をはじめとする、ケーテン時代に作曲された室内楽作品や、これもケーテン時代に遡る3曲のヴァイオリン協奏曲BWV1041-1043、オーボエ協奏曲BWV1053a、《ブランデンブルク協奏曲》、ライプツィヒに来てから最終的に完成されたと思われる、4曲の《管弦楽組曲》BWV1066-1069、やはりケーテン時代に完成した《平均律クラヴィーア曲集》第1巻などが、ぞくぞくとコレギウム・ムジクムの舞台にかかった。
さらにこのコンサートでは、テレマンやヴィヴァルディなど、他の人気作曲家の作品もさかんに取り上げられた。
~同上書P283
一切を忘れ、仕事に精を出すバッハの姿が目に浮かぶ。
ヘンリク・シェリングの弾くバッハの峻厳な響き、また、甘美で柔和な調べ。
孤高のバッハ弾きが、互いに感応し合い、バッハを愛で、バッハに浸る様に心が躍る。こんなにも自然体のバッハが他にあろうか。例えば、第3番ホ長調BWV1016第1楽章アダージョの放つ哀感は、バッハのどこから生じるものなのか?あるいは、同曲第3楽章アダージョ・マ・ノン・タントの、ヴァルヒャのハープシコードからこぼれる可憐な愛の表情と、それに応えるシェリングの慈しみの音調。嗚呼、すべてが一体だ。

続いて、ヴァイオリン協奏曲。
何と端正で、何と熱のこもるバッハであることか。ここにはシェリングの、バッハへの信仰が刻まれる。
いずれもシェリングらしい厳しい表現だが、最美は2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043!!
溌剌たる第1楽章ヴィヴァーチェは、文字通り生命力満ちる演奏。続く第2楽章ラルゴ・マ・ノン・タントの、(弟子のアッソンとの)ヴァイオリンが織り成す夢見る旋律に僕は言葉を失う。