ハイドシェック ベートーヴェン 3つのピアノ・ソナタ作品30ほか(1967-73録音)

ある盆栽作家の言葉。
盆栽とは、自然をただ模倣することではないという。子どもの頃から父親に連れ回された山々や木々の息吹きが刷り込まれている自分には、大自然が打ち出す気のエッセンスなるものが感じられ、それを小さなアートとして創造するのが盆栽なのだと。さしずめ、大自然に対する小自然。
たぶんベートーヴェンも同じことを考え、実践していたのではなかろうか。
 
森を散策するベートーヴェン。
ことさら自然を愛したベートーヴェンが、ハイリゲンシュタットで生み出した諸曲。

森の中の全能者よ
私は至福である
森の中にいて幸せである
どの木もが
あなたをとおして話しかける
おお神よ 何たる素晴らしさ

藤田俊之著「ベートーヴェンが読んだ本」(幻冬舎)P301

ベートーヴェンが五線紙に書き留めたメモ書きのような詩。大自然とひとつになるベートーヴェンの魂。エリック・ハイドシェックの弾く3つのピアノ・ソナタ作品30は、ベートーヴェンの魂をなぞり、まさに逍遥自在の演奏だ。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第16番ト長調作品30-1
・ピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品30-2「テンペスト」
・ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調作品30-3
・ピアノ・ソナタ第20番ト長調作品49-2
エリック・ハイドシェック(ピアノ)(1967-73録音)

陰陽相対の矛盾を追究するベートーヴェンの本懐。おそらくモーツァルトがすでに悟っていたことを、彼はまったく別の方法で、しかし音楽芸術を通して成そうとした。実に有意義なハイリゲンシュタットでの5ヶ月間だっただろう。
既に50年近くが経過しているとはいえ、ハイドシェックのベートーヴェン全集は決して色褪せない。何て美しい(立体的な)音なのだろう。そして、すべての作品が生き生きと、まるでたった今生み出されたかのような新鮮さ。「テンペスト」だけが有名になっている感があるが、(バックハウスが最後の演奏会でとり上げた)ソナタ変ホ長調の自然体の素晴らしさ。最晩年のバックハウスによる、あの侘び寂に満ちた演奏も素晴らしいが、ハイドシェックのそれは相応の重みもあり(第1楽章アレグロ)、また軽やかさもあり(第3楽章メヌエット)、崇高だ。終楽章プレスト・コン・フオーコの雄渾さ。
それにしても僕はソナタ第16番ト長調を随分侮っていた。音楽の煌びやかさはハイドシェックによって発せられるものだろうが、(苦悩を超えた)大歓喜が聴こえるのである。大いなる第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ、そして何より第2楽章アダージョ・グラツィオーソの官能と安寧(心は悶え、しかし、最後は静けさに落ち着く。何という高尚さ)。

人気ブログランキング


6 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。このCDを聴いてみました。届くまでに予習をしておこうと、いろいろなピアニストの演奏で16番を聴きました。名だたる名ピアニストのどの演奏を聴いても(傲慢をお許しください)今一つこの曲の魅力を感じることができませんでした。(シュナーベルの2楽章は素晴らしいと思いましたが)そしてハイドシェック。ここに書かれているように、美しい音の彫刻のように立体的に迫ってきます。主張がはっきりしていて語り掛けてきます。ベートーヴェンの遊び心、憂い、逡巡、意気が感じられます。2楽章は最初はちょっと作りすぎかな?と思いましたが進むにつれてその芳醇さに引き込まれ、聴き終わる頃は何か大曲をひとつ聴いたような気分に。18番も生き生きとした息吹が縦横無尽に行きわたり、喜びの中の切なさ優しさ、待ってました、これぞベートーヴェン!ハイドシェックの演奏の中にはいろいろな旋律が互いに呼応し、対話しているのが聞こえます。そのどれもがベートーヴェンの声のようです。
 今までショパン弾きのお坊ちゃんのような印象を持っていましたが、失礼しました。しかしながら、どうしてこんな集中力のかたまりのような演奏ができるのか。やはりそれは非凡なものであり、その代償が生活する上での不器用さなのでしょうか。これからいろいろな他のソナタを聴いてみるのが楽しみです。ありがとうございました。

返信する
岡本 浩和

>桜成 裕子 様

ハイドシェックのベートーヴェンはとにかく時を経ても色褪せない名演奏が揃っていると思います。
先日聴いていただいた「テンペスト」のように90年代の録音も素晴らしいので、機会ありましたら是非聴いていただきたいと思います。ともかくピアノがまるで自分の身体の一部であるかのように楽器を操る技量に唖然とします。しばらく来日公演がないのですが、ハイドシェックも84歳。実演に触れる機会がありましたら逃さず聴いてみてください。

返信する
桜成 裕子

岡本 浩和 様

 ご示唆、ありがとうございます。「ピアノがまるで自分の身体の一部であるかのように楽器を操る技量に唖然」、実にそうですね。グールド以来初めてこの人は天才かと思いました。何をおいても聴きに行きます。

返信する
岡本 浩和

>桜成 裕子 様

グレン・グールド以来というのは、確かにそうかもしれません。
ただ、すっかりテクニックは衰えてしまいましたが・・・。

返信する
桜成 裕子

ハイドシェック、ベートーヴェン ピアノソナタ全集の中の初期から中期の曲を聴いてみました。1番からずっと、想像していなかったような曲の味わいが飛び出してきました。今まで凝り固まった耳垢が溶け出していくようでした。(汚い表現ですみません)曲のキャラが立っている、とも言えるのでしょうか。何がちがうのかはっきりとはわかりませんが、強弱の自在さ、間の取り方の自由さ、伏線のメロディーの際立ちと立体感等を感じました。それらをさらりと軽やかにやってのけているように思える演奏技術の高さ。蛇足ですが、「熱情」は子供の頃に親しんでいたユリ・ブーコフというピアニストのレコードの演奏とそっくりで、うれしかったです。まだハイドシェックのベートーヴェンを聴いたことがない人は、ぜひ聴いてみてほしいと思います。ありがとうございました。

返信する
岡本 浩和

>桜成 裕子 様

感じていらっしゃる通りだと思います。
一言で、センス満点のベートーヴェン。これが50年近く前のものだというのが驚異的です。
引き続きじっくり聴いてみてください。
ありがとうございます。

返信する

岡本 浩和 へ返信するコメントをキャンセル

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む