
かつて晩年、賛辞を雨と降らせる熱心なファンに出会った時、ハイドンは言葉を遮ってこう答えた。「そんな風に言わないで下さい。あなたの目の前にいるのは、才能と優しい心を神から賜った一人の男に過ぎないのです」。
~パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P45
この謙虚さこそがヨーゼフ・ハイドンのすべて。
ハイドンの変奏曲ヘ短調は、急逝した盟友モーツァルトに捧げたものだという説がある。ハイドンがロンドンに旅立つ日に、抱き合って涙を流し、モーツァルトが「もう二度と会えないのではないか」という不安を口にしたのだという。事の真偽は定かでないが、あり得ることで、単なる美談としてとっておくのももったいない。
暗く、寂しさを湛えた息の長い主題が語りかけるように紡がれる(確かにそれは物憂げだ)。一方、主題の後半は長調に転じ可憐。長短2つの主題が交替で変奏される様はモーツァルトの内なる陰陽相対と似ていなくもない。老ハイドンの、人生の酸いも甘いもすべてが投影されているようで何だか妙に深いのである。
アンヌ・ケフェレックは、ハイドンへの尊敬を込めて全身全霊でピアノに向かう。研ぎ澄まされた集中力が何と言っても素晴らしい。
モーツァルトのような天衣無縫のハイドン。
グレン・グールドの表現とは正反対の、色香漂う、正統派(?)のハイドン。
音楽が翔ける。しかし、枠を単に遵守しただけではない。これほどの自由な飛翔は、ケフェレックの内にハイドンへの敬いがあるからだろう。
例えば、ソナタ形式を含まない2楽章制のソナタ第54番ト長調、第2楽章プレストの弾ける喜びは、まるでモーツァルトがふざけて踊るよう。