
生は死と同義であり、死もまた生と同義である。
その意味では死を恐れることはない。いや、むしろ生こそ恐るべきものなのかもしれぬ。
僕たちの生は永遠だ。だからこそこの生を他人に尽くし、懸命に全うせねばならぬ。
ヴィルヘルム・バックハウス、最後の演奏会。
痛々しいほどのミス・タッチの連続。しかし、多少の瑕など恐れずに、老巨匠はベートーヴェンの音楽に没入し、オーストリア・オシアッハはシュティフト教会を一層崇高な、聖なる一期一会の空間に押し上げる。
間違いなくバックハウスの「ワルトシュタイン」ソナタだ。
かれこれ40年前に初めて耳にしたとき、指のもつれなど意にも介さず堂々と突き進む姿勢に、僕は一音漏らすまいと、それこそ真剣勝負でレコードからの音に繰り返し向かっていた。第1楽章アレグロ・コン・ブリオの生気というより深遠なる侘び寂の妙。静謐な第2楽章モルト・アダージョからアタッカで移行する終楽章ロンドも、解放というより見事に深沈たる表情を崩さずに奏される姿に僕は言葉を失った。何て哀しい。正直乱れは多い。例のオクターヴ・グリッサンドの箇所もまったくグリッサンドになっていない。いわゆるアルペジオだ。しかし、そんなことは最早どうでも良い。それほどの枯淡のパワーがここには漲る。シューベルトの「楽興の時」もほぼ同じ音調。
言葉で表現し難い意味深い味わい。果たしてこれが「楽興」だと言えるのか?
しかし、聴衆に歓喜を与えようと全身全霊でピアノに対峙するであろうピアニストの心魂に僕は思わず快哉を叫びたくなる。それほどの力がどの曲にもあるのである。例えば、第2番変イ長調の(味のある)強力な打鍵と、その後の撫でるような弱音の変化!
そして、嗚呼、モーツァルト!かつてさんざん親しんだバックハウスのK.331!!
朴訥な第1楽章アンダンテ・グラツィオーソは、いかにもバックハウスの演奏で、(果たしてそれは刷り込みに違いないのだが)実に懐かしい、こうでなくてはならぬという響き。また、第2楽章メヌエットもあまりに色気のない枯れた音色がかえって美しい。そして、瑕だらけの終楽章トルコ行進曲の疾走する哀しみに、僕はバックハウスの本懐、モーツァルトの本質を垣間見る。アンコールで弾かれたシューベルトの即興曲は惜別の調べ。
ここまでが1969年6月26日木曜日の演奏会の模様。
そして、真に最後の演奏となった同年6月28日土曜日の演奏会。
冒頭、ベートーヴェンの変ホ長調ソナタは、第3楽章メヌエットの途中で気分が悪くなり、結局終楽章を演奏できずバックハウスは一旦袖に引っ込むことになるのだが、全編を通してゆったりとしたテンポで奏される一粒一粒の音に刻印される純白の色合いに、思わず唸る。何という白鳥の歌!未完成になったがゆえの完成度とでもいうのか。
しかしながら、白眉は、幾何かの休憩の後、ドクター・ストップを拒否して舞台に再登場して奏されたシューマンの小品2曲!!!本当にこれ以上ない魂の慟哭というのか、これほど祈りの深い、美しい音楽は聴いたことがない。「夕べに」も「なぜ」も人間技とは思えない絶品!!
開幕の時間となった。教会に集まった千人の聴衆は興奮と拍手の渦に包まれ、バックハウスは丁寧に挨拶した。
軽くピアノをテストしただけで弾き始めたが、その演奏はあくまで正確で力強かった。しかし第3楽章のコーダのあたりで、苦痛の影が顔の上を走るのが明らかに認められた。そして彼は自身で”Ich bitte um eine kleine Pause”(少し休ませて下さい)といい、短い休憩をとることにした。
しかし、休憩後はプログラムが変更され、シューマンの《夕べに》と《なぜ》になったので、このベートーヴェンのソナタはついに未完に終ってしまうことになった。そして演奏会の前半はここで終った。
休憩後、これ以上演奏をつづけては良くないと医師団に勧告された。しかし85歳の老芸術家の心は固く、明らかに気分が悪いのにもかかわらず、敢然としてこの勧告を退けた。おそらくは、自分を愛してくれる聴衆たちの期待に最後までそいたい気持だったのだろう。事務局の人間が「バックハウス先生よりシューベルトの即興曲をもって今晩の演奏会を終らせていただきたいとのご希望がありました」と場内アナウンスをした。
こうして三たびバックハウスは壇上の人となったが、これが最後であった。
(独デッカ盤ライナーノーツより/石井宏訳)
ライナーノーツのドキュメントがいかにも臨場感あり、真に迫る。
かくして生涯現役を貫いたヴィルヘルム・バックハウス、生誕135年目の今日を祝して。
バックハウス、最後の演奏会のCDを聴いてみました。バックハウスは舞台で倒れる、という演奏会冥利に尽きる幸福なピアニスト、と聞いていたのですが、最後の演奏会のライブは、胸が詰まるものがありますね。高齢で体調も良くないのにもかかわらず、打鍵は見事にコントロールされていて、さすが「鍵盤の獅子王」と呼ばれた人ですね。バックハウスはベートーヴェン直系の弟子だそうです。ワルトシュタインも18番も、飾らない、ベートーヴェンの魂をそのまま差し出しました、という感じがしました。両日の演奏会の最後に演奏されたシューベルトの即興曲は、本当に別れのあいさつをしているような、静謐で暖かな充足感が感じられて、泣けてきます。シューベルト最晩年の作品なのもうなづけます。このコンサートのCDを聴く機会をくださって、ありがとうございました。
>ナカタ ヒロコ 様
「最後の演奏会」は、いつ聴いても泣けてくる演奏ばかりで、今や滅多に聴くことはないのですが、生涯現役を貫いたバックハウスの残してくれた至宝だと思います。
こちらこそ聴いていただきありがとうございます。
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