フルトヴェングラーは神の存在を信じており、宗教心が篤かったが、教会に通っていたわけではなかった。人生における重要な関心事のひとつとして、宗教も哲学的な視点からとらえていた。ルドルフ・シュタイナーの作品に触れ、それ以外にも神学の思想や著作にひたっていた。葬儀のときどんな音楽を流してほしいかと妻がたずねたときは、こう答えている。「バッハの《マタイ受難曲》から、コラール〈いつの日かわれ去り逝くとき〉にしてくれ」。フルトヴェングラーにとって、人生のあらゆる面は音楽に直結していた。音楽それ自体が宗教であり、音楽は霊的なもの、徳の力と呼んでもいいものだった。
~ジョン・アードイン著/藤井留美訳「フルトヴェングラー グレート・レコーディングズ」(音楽之友社)P86-87
フルトヴェングラーの志向はベートーヴェンのそれに近い。
そもそもフルトヴェングラーがベートーヴェン作品に感応し、類い稀な表現を生み出すのには彼の心底の動機も同じくベートーヴェンのそれに近かったのではないかとさえ思えるほどだ。
病に倒れ、薬の力を借りてそれが癒えたとき、フルトヴェングラーの身体は異常を来した。その分、彼の作り出す音楽は、それまでより深遠に、そして、重厚に、かつ暗澹たる運びになった。彼は音楽も哲学的な視点からとらえていたのだろうと思う。
1952年12月、3夜にわたるベルリン・フィル定期(会場:ティタニア・パラスト)のプログラムは、ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲、ヒンデミットの「世界の調和」、そして、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」であった。こと「英雄」に関し、このときの演奏は2種の録音で聴くことができるが、いずれもがフルトヴェングラーらしい内燃する暗い官能の充溢した名演奏だ。
それにしても、造形はほぼ同じものであるのに、これほどまでに異なる印象を与えるとは、音楽という再現芸術の魔法というか、不思議を思う。
・ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(1952.12.7Live)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
第1夜の記録。少々粗さが随所に垣間見えるのは、録音のせいなのか、それとも初日であるゆえか。何より集中力を欠いた、散漫な印象がどこか拭えない。ただし、フルトヴェングラーらしい推進力を伴う終楽章アレグロ・モルトは素晴らしい(尻上がりに調子を上げるフルトヴェングラーのいつもの様子か)。何という生への憧憬、そして思い入れたっぷりの表情よ。
そして、第2夜は、ベルリンRIAS放送蔵出し音源のせいか、音は一層鮮明で、当時のフルトヴェングラーの至芸をより見事に捉えている。
・ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(1952.12.8Live)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
第1楽章アレグロ・コン・ブリオは、半月ほど前のウィーン・フィルとの有名なセッション録音に、ライヴならではの生気を付加したような堂々たる名演で、病み上がりの指揮者とは思えないくらい(例えば、展開部直前の、呼吸を溜めつつ一歩一歩ゆっくり踏み出すような解釈の妙)。また、第2楽章葬送行進曲(アダージョ・アッサイ)での、主題再現の際のあまりに深沈たる、静かな哲学的瞑想には思わずはっとさせられる。第3楽章スケルツォも前日の演奏に比して集中力が途切れず、技術的にも上(トリオのホルンの三重奏もこちらの方が巧くいっている)。さらに終楽章アレグロ・モルトは、終結に近づくにつれ、この世からの別れを惜しむかのような悲しみが音に溢れ、何だかとても切なくなる(その意味では、フルトヴェングラーの覚悟の詰まった演奏だ)。
歴史的に見ても、《エロイカ》はヨーロッパの新しい精神、つまりナポレオンの侵攻とともに鳴り響いた“自由・平等・博愛”を象徴するものだった。のちにベートーヴェンは、ナポレオンという人物そのものには幻滅するが、ナポレオンが掲げていた理念には共感を抱き続けた。《エロイカ》は、それが形作られた時代と同じく、革命的な要素にあふれていた。ものものしい和声が響き、聴く者をあおりたて、容赦ない気分にさせる音楽は、それ以前にはなかったものである。
~同上書P158
フルトヴェングラーは、ベートーヴェンの精神を引き継いだ音楽の革命家であり、救世主だったのだろうと思う。