
19世紀のウィーンでは、ロッシーニの喜歌劇の外向的な輝きが、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲の謎めいた内向性に相反するものと判断された。作曲はこうした解決不能の永遠の論争によってはじめて、力を得ることができる。中心から外れた文化のなかで、作曲は一種の後見人的な役割を果たす機会を得ている。過去のすべてを吸収してきているので、何であれ新しいものを吸収できるのだ。
~アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽2」(みすず書房)P571-572
賛あれば否あり。世界が正負のバランスでできていることの証でもある。
オランダ・フェスティヴァル50年のハイライトから「20世紀の国際的作曲家の音楽」。
初耳の作品の多い中、20世紀のいわゆる現代音楽の、ライヴならではの熱を実感する。音楽というものが、作曲家と作品と、演奏者と聴衆の三位一体によってこそのものだということをあらためて痛感するのである。
作曲家たちはポピュラー音楽の作曲家にただちに対抗することはできないかもしれないが、孤独という自由を得て、独自の強度を持つ経験を伝えることができる。大形式を展開し、複雑な楽器編成を用い、ノイズから沈黙まで幅広い領域を横断することによって、作曲家たちはクロード・ドビュッシーがかつて「想像上の国、すなわち地図上には見つけられない国」と呼んだものに至る道を示すのである。
~同上書P572
もはややり尽くした感のある世界の中で果たして音楽の挑戦は今後どこまで拡がっていくのだろうか? それにしてもいまだ知らぬ作曲家の創造力の光輝さよ。抜粋とはいえ充実の1枚。