ハイドシェック ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第30番,第31番&第32番(2000.11録音)

私のミサ曲が殿下のための祝典に上演される日は私の生涯で最良の日でありましょう、そして神は私に啓示を与えるでしょう、私の微力がこのおめでたい日の慶祝に貢献するように。
(1819年3月3日付、ルドルフ大公宛)
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築3」(春秋社)P963

畢生の大作「ミサ・ソレムニス」を自身の最大かつ最高の作品と見なしたベートーヴェンは、初演はもちろんのこと、結局出版の日の目を見ることなくこの世を去った。当時の、彼の創造力の飛翔ぶりは並大抵ではなかった。文字通り、神の啓示によって成された作品群の神々しさよ。

もうひとつこの時期の大作《ミサ・ソレムニス》の場合は、「集中的な取り組み」時期は大きく見ると3分割される。1819年4月にキリエ楽章のスケッチが始められ、後続楽章が順次スケッチされて、一部はスコアの書き下ろしにも至るが、1820年3月からピアノ・ソナタ第30番(作品109)の作曲が始まることで中断、ないしは若干の作業も並行、する。ピアノ・ソナタ第30番(作品109)が8月に完成するとともに、10月頃からベネディクトゥス楽章のスケッチが始まりアニュス・デイ楽章のそれも続くが、1821年9月からピアノ・ソナタ第31番(作品110)と第32番(作品111)の創作が割って入って、1822年2月まで再びほぼ中断。以後は1822年末か遅くとも1823年1月の完成に向けて集中的創作が続いた。
~同上書P960

怒涛のようなこの創作活動によって彼が寿命を縮めたのかどうかはわからない。
それにしても(当時の一般聴衆に媚びることのない)この桁外れのイマジネーションは、それだけでベートーヴェンが「楽聖」として後世に語り継がれるだけの価値があろう。数百年後の時代を先読みしての神からの賜りものの如し。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109
・ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110
・ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111
エリック・ハイドシェック(ピアノ)(2000.11録音)

煌めく音の粒。
10本の指は、強弱、高低、音楽に潜むすべてのニュアンスを見事にくみ取り、ベートーヴェンが神から賜った音楽を完璧に再現する。何という集中力だろうか。聖なる音楽(ミサ曲)から零れ落ちた楽想が、独奏楽器のために形になったとき、神事なくして僕たちの魂は癒される。3つのソナタはそれぞれに異なる風趣を持つ。高度なテクニックを要求する音楽が、これほどまでに自然に、理に適った「温度」で奏される様子にあらためて舌を巻く。

《ミサ・ソレムニス》作曲の舞台を成した長い4年間は病と生活の心配に取り囲まれており、その前後それぞれに1年半、すなわち1817年後半から1824年6月まで7年に渡って、大ソナタOp.106からバガテルOp.126まで「パンのための」ピアノ作品の作曲が点在した。
~同上書P984

当時のベートーヴェンは体調が思わしくなかった。
おそらく自身の死の意識はどこかにあったのかもしれない。(生きるためとはいえ)諦念から生まれた透明さに支配されたソナタ群を、ベートーヴェンの内側を、ハイドシェックは完璧に再生した。

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