フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管 ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」(1954.8.9Live)

巨大化するところまで巨大化したなら、あとは縮小するだけ縮小するというのが自然の摂理。なれの果て(?)がジョン・ケージの「4分33秒」だとするなら、本望だ。すべては無に帰し、最後はただ静寂を残すのみとは真理なり。

祝祭の場であるにもかかわらず、この時の音楽は何と荘厳なのだろう。ワーグナーがベートーヴェンに託した想いを乗せて、最晩年のフルトヴェングラーが棒を振る。

世の人々が自分のことをどのように考え、感じているのかということなど、もはやどうせもよい他人事と思えた。ただひとつ拠りどころとなったのは、自分自身の内面だけであり、心に渦巻くあらゆる情熱と憧憬の底の底までひたすら沈潜するよりほかになかったのだ。いまや男が住みついたのは、なんと不思議な世界だったことか! この世界のうちならば、目も—そして耳もはたらいた。身体にそなわった耳がなくても聞こえたからだ。そこでは創造と享受がひとつになっていた。—しかし、なんということだろう、この世界は孤独の世界だったのだ。子供のような愛にあふれた心が、孤独の世界に永遠に住みつこうなどど望みえただろうか。哀れな男は周囲の世界にまなざしを向けた。—かつて自分を甘美な至福の歓びでつつんでくれた自然に、そして今なお強い親しみをおぼえずにはいられない人間たちにまなざしを向けたのだ。
松原良輔訳「ベートーヴェンの《第九交響曲》によせて」(1846)
ワーグナー/三光長治監訳/池上純一・松原良輔・山崎太郎訳「ベートーヴェン」(法政大学出版局)P5-6

ワーグナーに通底するのはベートーヴェンへの崇敬と、彼の魂との同期から生まれた大自然への歓喜だ。あるいは、人間讃歌だ。
最晩年のフルトヴェングラーの言葉を引く。

肝要なものは、つねに、あらゆる芸術の背後に立ち、芸術によって表現される人間である。芸術とは、芸術を創る人間のことである。私が現代の人間を信じるかぎり—もちろんそれは、自己の思考の牢獄に囚われたあの偏狭で不自然な変種だけでなく、広さ、深さ、愛、熱情と認識を具えた現代人の全体を意味するわけであるが—、現代人の芸術によせる私の信頼と希望も裏切られることはないであろう。
(1954)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音楽ノート」(白水社)P196

つまり、大宇宙と一つになった人間の心が生み出すものが真の芸術だとフルトヴェングラーは言うのである。そして、その根底にはやはり「信」があると彼は諭すのだ。

ベートーヴェン:
・交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」
グレ・ブラウエンスタイン(ソプラノ)
イーラ・マラウニク(アルト)
ヴォルフガング・ヴィントガッセン(テノール)
ルートヴィヒ・ウェーバー(バス)
ヴィルヘルム・ピッツ(合唱指揮)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団(1954.8.9Live)
・リハーサル(第3楽章&第4楽章)(1954.8.8録音)

劣悪な録音状況にもかかわらず、最新のテクノロジーを使用してのリマスタリングで鑑賞には十分耐え得る。この時点でフルトヴェングラーにも翌年への希望はあった。ミトロプーロスあての手紙には次のようにある。

ザルツブルクご滞在ちゅう親しくお目にかかることもできず、また、ルツェルンで仕事があったため、貴殿の演奏会を拝聴する機会を持ちえなかったことは、まことに残念なことでありました。それだけに、明年もまたおいでになるご意向とうかがい、嬉しさのひとしおなるものがあります。ザルツブルクでのご活躍が—文化的意義の大きなことはもちろんですが—内容豊かで、多くの人びとの喝采をかちえるものであるようにと祈っておりました。
明年2月末、アメリカでお目にかかれるでしょうか?

(1954年9月3日付、ディミトリ・ミトロプロス宛)
フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P304

最後のバイロイトの第九は、どこをどう切り取ってもフルトヴェングラーの音である。熱狂と興奮の潜む、厳かで集中力に富むベートーヴェン。同じ手紙の追伸で彼はこう書く。

テンポは「趣味の問題」なぞではなくて、楽曲からおのずから生まれるものなのです。しかもそのテンポが、多くの場合、弾力ある解釈を許容するのです。
~同上書P304-305

自ずから生まれたものは自然の摂理に沿うものであり、それ自体は許容範囲が広いというのである。音楽はまさに心の器の投影であると言えまいか。僕としては、忘却の中音楽に没頭するフルトヴェングラーならではの劇的な方法がうまくいっているリハーサルの演奏(部分だが)が忘れ難い。

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