
音の隅々に行き渡る粋。こういうのをエスプリというのだろうか。四角四面でない、とても自由な、とらわれない演奏。緩やかな楽章においては、眠りに誘うような安心感があり、一方、急速な楽章においては、急がず、慌てず、しかし、軽やかに弾む愉悦がある。
深淵をのぞき込むチェロ独奏。フルニエの思念は、曲の進行とともに無に近づいてゆく。第3番ハ長調BWV1009に至って、ついに悟りに境地に入ったのか、音楽そのものしか感じさせない妙。こういう無為の音楽を聴いていると、聴後感を言葉にするのさえ嫌になる。数多あるバッハの組曲の中でも随一のセンスを誇る。音楽は、歌うというより自ずと宙から湧き出ずる様子。
白眉は第5番ハ短調BWV1011か。中でも、第4曲サラバンド(の陰陽を超えた中庸の響き)は屈指の色合いを示す。
フルニエ曰く、演奏家が厳しい練習を積み重ねるのは、優しい人間になるため。そんな事実を知って聴くフルニエのバッハはもはや人後に落ちることはない。