
美しい、あまりに美しい!
完璧にコントロールされた音像、というより、演奏自体も一部の隙もない、完全なるアンサンブルを創り出す。これほど徹底された、外面効果の高い「指環」が他にあろうか。カラヤンの方法は、いつになく見事で、ワーグナーの音楽が実に清澄に、そしてあくまで冷静に(冷徹?)、また安定的に僕たちの耳に届くのだ。
ウィーン国立歌劇場を辞任して以来、カラヤンは、オペラの指揮が少なくなったことに物足りなさを感じていた。そこで、1967年3月19日(復活祭直前の日曜日)の午後5時、ザルツブルクで、第1回目の復活祭音楽祭を開催する。この音楽祭はそもそも、クリストフ・フォン・ドホナーニの提案だった。カラヤンはここで、オーケストラのコンサートを6回おこない、ブルックナーの第8番、ベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》などを演奏し、そして最も重要な公演として、ワーグナーの《ワルキューレ》を、グンドゥラ・ヤノヴィッツ、クリスタ・ルートヴィヒ、ジョン・ヴィッカースやトーマス・スチュワートなどを従えて指揮をした。
ここで《ニーベルンゲンの指環》を取りあげたのは、彼がバイロイト音楽祭で、2年目にしてワーグナーの孫と喧嘩してからは、それに代わる新しいバイロイトを提供する必要があったからだ。「ザルツブルク復活祭音楽祭は、そもそも、ワーグナー作品と取り組む必要性から生まれた」とカラヤンは伝記作家に語っている。
~ヘルベルト・ハフナー著/市原和子訳「ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝」(春秋社)P274-275
どうしてもきな臭い政治色を拭い去ることができないのがカラヤンの周辺。ザルツブルク復活祭音楽祭についても、取り組もうとしていたワーグナーにも、どうにも金の匂いがプンプンする。ただし、カラヤンにとって指揮することはビジネスだったのだからそれも当然だ。録音から50余年を経ても、色褪せることのない優れた魔法がここにはある。ワーグナーの毒はすっかりスポイルされているのだけれど。
グレン・グールドは語る。
60年代で最も注目に値する録音のいくつかは、レコードと演奏会(あるいは劇場での消費活動)の双方を同時に狙ったものでした。この10年間の終わりまでに、ヘルベルト・フォン・カラヤンによる《ニーベルングの指環》の緻密な解釈が4分の3まで完了しています。実際、試演を公開できるくらい十分にリハーサルを経た色つやのある仕上がりですが、カラヤンのヴァーグナーは、バイロイトの劇場よりも居間で聞かれることを念頭に置いた演奏であることに何の疑いもありません。これまでで最高のヴァーグナー演奏であるばかりか、最も入念に意図され、緻密な段取りのもとに実行されたヴァーグナー演奏だったと言えるかもしれません。
「60年代の音楽」(1970年)
~グレン・グールド、ジョン・P.L.ロバーツ/宮澤淳一訳「グレン・グールド発言集」(みすず書房)P300-301
やや速めのテンポで颯爽と切り開かれる前奏曲(低音楽器が時に肺腑を抉る)に導かれ、第1幕の、過去を語り、現在に目覚め、不吉な未来の心象を喚起する官能ドラマが、何と研ぎ澄まされた音で鳴り響くことか。意図あれど決して無機的に陥らないのがこの「指環」の素晴らしいところ。
グールドの指摘にあるように、この録音はまさに装置でもって聴かせるものだ。歌手もどちらかというと余所行きの歌唱を披露する。できる限り力を抑え、感情を表に出さず、その意味ではワーグナーには相応しくなく、大人しい。終幕「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」の、見事に洗練された音像を耳にすればそれは明らかだろう。屈指の名演奏であるハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(ジョージ・ロンドン独唱)による同シーンと比較すると大人と子どもの差くらいあろうかと思わせるほど音に漲る力と盛られた毒の濃度が違う(それにしても楽器の細部まで聴きとることのできる透明感と音の分離の良さはぴか一)。