
しかしフランツ・ヨーゼフもヨハンの音楽に親しむにつれ、当初の反感を和らげていった。彼は「ジプシー男爵」を見て、大いに気に入り、シュトラウスを劇場の皇帝席に呼びよせた。そのあとシュトラウスは非常に興奮して、友人のグスタフ・レヴィに言った。
「皇帝は大満足の御様子であった。そして仰せられた。シュトラウス君、君のオペラはとても私の気に入ったよ。とてもすばらしい。皇帝は仰せられたのだ。オペラだって!」
~渡辺護「ハプルブルク家と音楽 王宮に響く楽の音」(音楽之友社)P156
欣喜雀躍するヨハン・シュトラウス二世の姿が思い浮かぶ。
実際、メロディ・メイカーたるシュトラウスの力量は同時代の誰にも引けを足らない。どころか、第一級といっていいほどの作曲能力を示す彼の音楽は、時代と空間を超え、100数十年を経ても、世界中のどこでもいつでも人々から愛される代物だ。
古の名盤、クレメンス・クラウス指揮ウィーン・フィルによるシュトラウスのワルツ集。
中でも、皇帝がほめ称えたオペレッタ「ジプシー男爵」序曲が目下の愛聴曲。真正のオペラを書きたいと願っていたシュトラウス二世にとって、皇帝の真意はともかく「オペラ」として認められた音楽を、クラウスは何と優雅に、そして力強く再生するのか。
新春恒例のウィンナ・ワルツは確かに春を迎えるのに相応しい明朗な音調を持つ。「舞踏曲は巡り、人々は踊る」というが、人の深層の明るさや慈しみを自ずと湧き立たせる効果がワルツやポルカにはあるように思える。ここでのクラウスは終始歌い、そして弾ける。シュトラウスの音楽に心から共感するのである。
「(シュトラウスの人間関係のなかで)最も不思議なのは、ブラームスとの交遊である。それは友情であり、たんなる交遊以上のものであった。—しかもそれは、あたかも庭園の小道を、熊と蝶が連れだって奇妙なそぞろ歩きをしているようなものだった。熊つありヨハネス・ブラームスは、蝶を理解し驚嘆し、一方シュトラウスも相手が“文化の偉人”であると感じていたようである。・・・ブラームスのシュトラウスに対する関心は尽きることがなかった。すべての新しい作品に対して彼は興味を示していた」(H.E.ヤコブ)
~加藤雅彦「ウィンナ・ワルツ ハプスブルク帝国の遺産」(NHKブックス)P182
互いに尊敬していたであろう二人の巨匠の交遊は決して不思議なものではなかろう。扱うジャンルが異なるにせよ音楽に対する愛情、そして、生み出す音楽の普遍性という点においては両者とも人後に落ちない。ヨハン・シュトラウスのウィンナ・ワルツは永遠だ。中でもクラウスの指揮するそれは絶対的だと評しても言い過ぎではない。