朝比奈隆指揮大阪フィルのシューマン「ライン」交響曲(1994.10.17Live)を聴いて思ふ

schumann_3_asahina_osaka352音楽というものは過去の思い出、原風景など、記憶を喚起する。
初めて聴いた演奏はいくつになってもそれが呪縛となる。良い意味でも悪い意味でも。
何より音楽芸術が、時間とともに、そして空間の中に消え行く運命にあるものだからだろうか。

朝比奈隆にとって養父の思い出と即座に結びつくのはロベルト・シューマンの交響曲第3番「ライン」らしい。「わが回想の日々―ヨーロッパ演奏旅行のつれづれに」をひもとく。

太い線を一本ぐっと引いたような父の生涯は、こうして忽然と終わった。54歳の春であった。若い時代からの激しい仕事の連続で、休むことを知らぬ一徹さ、加えておびただしい量の喫煙と飲酒、しかし今にして思えば第一次大戦後の大恐慌は、事業には不得手な父の製鉄業に再起できない打撃を与えたことが最大の原因であったかも知れぬ。
私は今朝ホテルを出てほど近い公園からライン川沿いの道を歩いた。ここに澄んで多くの美しい詩を書いたハイネは、今公園の中の記念像とHeinrich Heine Alleeという町の中心街の名として、この町の誇りである。作曲家シューマンは、失意と病弱の身をドレスデンからここに移してその狂乱の一歩前で最後の交響曲である第3交響曲「ライン」を書いた。その音楽は今眼前を流れるラインのように、悠々と幅広く幸福と希望に輝いていたのに・・・。
「朝比奈隆のすべて―指揮者生活60年の軌跡」(芸術現代社)P88-89

確かにこの変ホ長調交響曲の悠然とした響きには希望と幸福を思うけれど、実際シューマンが作品を創造した1850年頃は最も多忙で充実した生活を送っていた反面、精神病の兆しが出始めていた時期にも当たるゆえ、その内側には何とも暗澹たる調子が聴こえなくもない。

朝比奈隆の演奏も堂々とした、そして重厚ないかにもドイツ風の大交響曲の態を示すが、その実、養父の思い出が重なってか、どこかに哀しみと憂いを感じさせるものとなっている。第3楽章の雄渾、そして第4楽章にある壮絶な涙。

私の母はクララ・シューマンと違い何も出来ない人だった。父がすべてを失って死んだと知った時全く途方に暮れた。残されたのは住んでいるガランと広い家だけだった。その時先輩であり、出資者でもあった実父は、弁済し得るすべての債務の支払いを命じたそうである。それは失敗した事業家の名誉を守る唯一の道であった。私は今にして実父のきびしさを尊敬している。
~同上書P89

厳しくも温かい朝比奈芸術の原点が父や母から受け取ったものであることが素直に語られているようで心地良い。

・シューマン:交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」
リハーサル風景~
・シューマン:交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」第3楽章、第4楽章より
・ブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68第4楽章より(1994.11.7録音)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1994.10.17Live)

21年前のフェスティバルホールでの実況録音。その1年後の新日本フィルとのライブに僕は接したが、1年前のそれはより引き締まったスタイルで、シューマンの魂を見事に音化したもの。第1楽章冒頭の主題提示から何という生命力漲る音楽!この頃の朝比奈隆の心身がいかに充実していたかが手にとるようにわかる演奏だ(ブラームスが第3交響曲の主題として引用した動機の何気ない扱いの中に示す愛情深い音楽の作りも朝比奈ならでは)。

なじかは知らねど
心わびて
昔の伝説(つたえ)は
そぞろ身に沁(し)む
寥(さび)しく暮れゆく
ラインの流(ながれ)
入日に山々
あかく映(は)ゆる
~ハインリヒ・ハイネ詩/近藤朔風訳詩「ローレライ」

 

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