再び1810年のベートーヴェン。
余計なものが削ぎ落とされ、一層透明な美しさを保つ作品群。ある意味、後のアントン・ヴェーベルンのミクロの世界を髣髴とさせる独自の世界観と言えまいか。1810年こそベートーヴェンが後期の作風を獲得した年。
弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」の恍惚。
おそらくこの頃インド哲学に目覚めたであろうベートーヴェンの精神を見事に音化する東京クヮルテットの力量。あまりに深い・・・。
第1楽章アレグロ・コン・ブリオ冒頭の怒りのユニゾン主題の激烈は聴く者の肺腑を抉る。もはや僕たちはここから楽聖の虜になるのだ。
また、第2楽章アレグレット・マ・ノン・トロッポの安寧。いかに厳格なベートーヴェンといえども、愛らしく悲しい心情を決して忘れることはなかった。
ここは東京クヮルテットの真骨頂。これほどに心に染み入る音楽はない。
そして、第3楽章アレグロ・アッサイ・ヴィヴァーチェ・マ・セリオーソの明朗かつ流麗でありながら堂々たる響きに感動。さらに、終楽章ラルゲット・エスプレッシーヴォ―アレグロ・アジタートの水も滴る清らかさに当時のベートーヴェンの抑圧された色香を思う。
後期の作風と中期の作風が入り混じる傑作。何より東京クヮルテットの心の反映美。
ベートーヴェン:
・弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74「ハープ」
・弦楽四重奏曲第11番ヘ短調作品95「セリオーソ」
東京クヮルテット
マーティン・ビーヴァー(ヴァイオリン)
池田菊衛(ヴァイオリン)
磯村和英(ヴィオラ)
クライヴ・グリーンスミス(チェロ)(2007.11録音)
「セリオーソ」の前年に作曲された弦楽四重奏曲第10番「ハープ」の懐かしさ。
第1楽章ポコ・アダージョ―アレグロの前進性。ここには未来への希望が垣間見える。
あるいは、第2楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポにある「いまここ」の憂愁。相変わらず苦悩のベートーヴェンの表情が顔を出すものの、根底に流れるのはやはり生きることへの渇望。
さらには、いかにもベートーヴェンらしい第3楽章プレスト―ピウ・プレスト・クワジ・プレスティッシモの男性的な激情を経て、終楽章アレグロ・コン・ヴァリアツィオーニの女性的な柔和な音調。この対比こそベートーヴェンの天才。
東京クヮルテットの永遠。
解散して早3年余りが経過するが、その音楽は時代と空間を超え僕たちの心に迫る。
何と素敵なベートーヴェン!
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ご紹介の曲なども、個人的には今聴きたくはないです(聴きたい優先順位が後のほう)。
でも、もし自分で演奏に参加して弾く機会があるんだったら話は別。もう、随分遠ざかっていますが。
>雅之様
ベートーヴェンの作品は弦でもピアノでも弾ければまた違った愉悦があるのでしょうね。
弾けない僕にとっては羨ましい限りです。
ただし、ベートーヴェン作品はいつの時期の作品でも僕にとってやっぱり優先順位はかなり上位にあります。
それこそ趣味嗜好の違いですかね。