30年以上前のこと。当時、音楽関係の仕事をしていた僕は、毎日のようにコンサートやイベントに携わり、裏方という立場で生の音楽を専ら堪能していた。その際、著名な音楽家や高名な音楽評論家にもお会いし、たくさんのお話を聴くことができた。それも、今となっては本当に良い思い出だ。
中南米にまつわる大イベントに携わったとき、濱田滋郎さんにお会いした。とても気さくな方で、中南米音楽に関する熱いお話に僕の心は躍り、舞い上がっていた。
ギターを愛し、スペイン音楽に生きた濱田さんが、ギターの巨匠アンドレス・セゴビアにインタビューした記事が面白い。
—ところで、きょうはギターの技術的なこととか、専門的なことはあまりおうかがいしません。ギター専門誌のインタビューではありませんので・・・
S おお、その方がいい(笑)。私はいつも言うのだが、音楽とは大きな海のようなもの、そして楽器はそこに浮かぶ島々のようなものです。ギター、ヴァイオリンのように美しい島もあるし、もう少し無愛想な、たとえばトロンボーンのような島もある。しかし、いずれにせよ「島」は「海」と同じほど重要ではない。第一に音楽、次に楽器です。
(1980年7月29日)
~濱田滋郎の本「ギターとスペイン音楽への道」(現代ギター社)P39
大らかで謙虚な、音楽の僕たるセゴビアの器の大きさを感じさせる言葉だと思う。当時89歳の現役ギタリストの演奏は、確かに技術的なほころびはあったらしい。しかし、濱田さんの言葉を借りれば「演奏からこぼれる滋味が惹き起す感動は、あきらかに、技術面の偶発事を超えていた」そうだし、そこには、根源的な「人間の歌」があり、真似のできない「自然さ」が漲っていたというのだから堪らない。
セゴビアのギターの、単色でない、色彩豊かな音に感嘆する。
内燃する情熱と、一方で表面の、実に冷静で堅牢な音楽の構成に言葉がない。スペインやラテン・アメリカの小さな音楽たちが、生命力豊かな音を得て、僕たちの魂にまで届くのだ。まさに音楽の僕たるアンドレス・セゴビアの面目躍如たる数々の録音に感謝の念が湧き起こる。
人々はセゴビアの演奏を、息を殺して聴く。一音たりとも逃すまいと。
一昨日、濱田滋郎さんが急逝されたそうだ。かつてセゴビアの存在を教えていただいたのは濱田さんの文章だった。久しぶりに聴いたセゴビアは、やっぱり素晴らしかった。濱田滋郎さんの冥福を祈る。