ミケランジェリ ドビュッシー 前奏曲集第1巻(1978.6録音)ほか

完璧、そしてまた自然体。
スタジオでの精密な演奏の賜物とはいえ、聴いていてゾクゾクする完全無欠のドビュッシー(手放しの絶賛にも程があろうが)。描写的な音楽を、聴き手に即座に具象化させる音の魔法。何という指なのだろう。

『前奏曲集』はドビュッシーが模範としていたショパンに近い質の音楽として、さまざまな花を咲かせています。そこにはドビュッシー的なものが集約され、「形式と神性」とはボードレールの詩句を思わせるものがあります。この2冊はまさにドビュッシーそのものの本身から生まれたもので、どんな他の音楽家とも混同されることはありません。
マルグリット・ロン著/室淳介訳「新版ドビュッシーとピアノ曲」(音楽之友社)P84

ロンが「底知れぬ孤独。ためらい。見わけのつかない足跡。」とする第6曲「雪の上の足跡」の人間業とは思えぬ恐るべき神秘。あるいは有名な第8曲「亜麻色の髪の乙女」は、何と透明かつ可憐で愛情に溢れているのだろう(ミケランジェリの天才を見る)。

ピアニストとは言えないシューシュー・ドビュッシーが父親そっくりに、まねのできないほど音楽的にまじりけのない感情で、この『前奏曲』をひいていました。
~同上書P89

しかし、やはり沈み行く大伽藍とその残像を見事に音化する第10曲「沈める寺」が絶品だ。

ドビュッシー:
・前奏曲集第1巻(1909-10)(1978.6.27-28録音)
・子供の領分(1906-08)(1971.7.25-8.3録音)
アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ(ピアノ)

一方、愛娘クロード=エマ(シュシュ)に捧げられたピアノだけの小さな組曲「子供の領分」は、全6曲が実に明朗で、生きる希望に溢れた名曲であり、ミケランジェリの演奏は純化の極み。例えば、第4曲「雪は踊る」の、赤子の心の表現のような「何もない」ひたすら舞い散る雪の描写、そしてそれを窓辺から眺める汚れのない童心の我。ミケランジェリは静かに歌う。

シュシュことクロード=エマは愛らしい賢い子で、音楽にも早熟な才能をしめしたらしいが、父親が死んで(1918年3月25日)からほぼ1年ののち、ふとした病気がもとであとを追った。現在、作曲家の血を受けた者は、一人ものこされていない。
(平島正郎)
「作曲家別名曲解説ライブラリー ドビュッシー」(音楽之友社)P114

ふとした病気はジフテリアだそうだ。ちなみに、わずか13歳で夭折したシュシュの、父クロードが亡くなった直後に義兄宛に書いた手紙が悲しい。

私にはすぐわかったの。ああ、もう最後なんだって。部屋に入ったときパパは眠っていて、とても規則正しく、でも短い呼吸をしていた。こんなふうにずっと眠り続けて、それから夜の10時15分になって、ちょうどそのとき、とても静かに天使のように永遠の眠りについたの。それから起きたことはとても言えないわ。滝のような涙が目から零れ落ちそうになったけど、ママンのためにがまんしたの。
(1918年4月)

嗚呼・・・。

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