
挑戦的なショパン。
リヒテルの弾く練習曲集は、僕にはそんなイメージ。いとも容易く紡がれる楽の音は、隅から隅まで前のめりでありながら実に音楽的だ。何より情熱とひらめき。
私はいつも彼に語りかける。—自分の守護天使に。この練習曲を弾くときはいつもそうしている。彼はこう応える。「準備はいいぞ。お前の意向どおりにしよう。」まるでシェイクスピアの『テンペスト』に出てくる空気の精エアリアルのようだ。もっとも、私の感じでは、語りかけてくるのは、囚われ、魔法をかけられ、震えている魂だ。聖水を入れた杯の中に閉じこめた悪魔のように。
そしていちばん大切なのは、彼の出した条件を果たすことだ。つまり、こちらが死ぬ前に、彼を解放すること。これが条件だ。
~ユーリー・ボリソフ/宮澤淳一訳「リヒテルは語る」(ちくま学芸文庫)P312-313
そう、リヒテルの生み出す音楽は何といっても空想的であり、また文学的なのだ。それは、わかる人にはわかるが、わからない人には絶対にわかり得ないという代物だ。練習曲変ホ短調作品10-6にまつわる上記の断想は、おそらくリヒテルがどんな音楽を解釈するときもハイヤーセルフに問いかけていただろうことを物語る。
彼の中のデーモンがひらめきを呼ぶのである。録音ではどうしてもそのニュアンスは入り切らないかもしれない。しかし、おそらく実演に触れれば、電気ショックを受けたかの如く彼の魔法にはまってしまうことだろう。
ライヴならではの緊張感と活気。
どちらかというと沈潜し、黙考する印象の作品25からの諸曲の美しさ。特に、第7番嬰ハ短調には、底なしの哀感が詰まり、聴いていてそれこそ魂が震える。
2つのポロネーズも見事に内省的。貴族の舞踊が何と悲しみに溢れ、内へ内へと収斂されて行くのだろう。マズルカの郷愁にも通ずるハ短調作品40-2のあまりの厳しさに僕は言葉を失う。がっしりと響かせる重厚な低音に絡みつくように繊細なメロディが浮沈する様に同じく魂が疼く。
リヒテルは瞑想する。
黙然と佇み、ただひたすら音楽を無心に奏でるのだ。何という美しさ、何という哀しみ。