インバル指揮フランクフルト放送響 ブルックナー第3番(第1稿)(1982録音)を聴いて思ふ

朝比奈隆が死の年、大阪フィルハーモニー交響楽団との東京定期演奏会で採り上げる予定であったのは、ブルックナーの交響曲第3番であり、しかも、それは初の試みである1873年第1稿を使用してのものだったという。入院先のベッドの上でも総譜を熱心に研究する御大の姿が報告されているが、そのコンサートは結果的にはキャンセルとなり、ついにそれから2ヶ月を経ることなく無念にも朝比奈は世を去った。

支離滅裂?
否、視点を変えれば、すべてが斬新、革新、また唯一無二。
第一念こそが宇宙とつながる根源であり、真の答なのだとあらためて思う。

アントン・ブルックナーの、いわゆる第1稿というものを持つ交響曲の中で、真の成功作であり、インスピレーションの宝庫であるのはリヒャルト・ワーグナーに捧げられた第3番ニ短調であると僕は思う。常に神秘が蠢き、どの瞬間にも森羅万象が発露される傑作。
ウィーン・フィルに初演を拒否され、自信を喪失し、作曲者自ら新たに手を加えた後の稿には、もちろん整理整頓された究極の美がある。しかし、肝心の、大宇宙と小宇宙がつながる如くの秘密めいた法がそこには残念ながらない。

ブルックナーの魂とワーグナーの魂が直接に交わる瞬間を聴きたまえ。

・ブルックナー:交響曲第3番ニ短調「リヒャルト・ワーグナーに捧ぐ」(1873年第1稿)(世界初録音)
エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団(1982録音)

まるで精神世界を漂う第1楽章の崇高美。
極めつけは第2楽章アダージョの、文字通りワーグナーとの一体化を示す、荒削りの、赤裸々なブルックナーの思念。なるほど、後半部の「タンホイザー」からの引用と表象こそ、この交響曲の真価なり。
また、第3楽章スケルツォを経て、終楽章アレグロは、後年のブルックナーの総決算大宇宙論的壮大さには欠けるものの、通底する力強さと放出されるエネルギーの度合いは言葉にならぬほど絶大。特に、再現部以降のパワー(後の稿には削除され存在しない激烈な楽想!!)は筆舌に尽くし難い。

それにしても朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるこの作品の初稿が聴けなかったことは痛恨事。透明感溢れる、他では絶対に聴くことのできないであろう名演奏になったことが確実ゆえ。

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