
歴史をひも解くことは面白い。
物事には一切表には出ない裏があり、そこにこそ答があるのだが、残念ながら一般公衆にその情報が届くことはない。歴史の謎として空想し、探求するしか道がないのである。
しかし、ひとたび道がわかると(理解が深まると)、面白いように物事が解けるようになる。見えないところに大いなるヒントがあることを僕たちは知らねばならない。
さて、天平17年は、大仏と紫香楽宮の造営が大規模に進められていた。しかし、4月早々からは周辺であいつぐ火事が起こった。さらに、4月27日、予期せぬ大地震があった。そのため美濃国では国衙の櫓、館、正倉や寺院の堂塔、民衆の家屋が被害を受けた。その後も、連日余震があいついだ。
そこで、5月2日、太政官が官人たちを召集し、どこを都とすべきかを問うと、みな平城京を都とすべきであると答えたという。なお、余震が続く最中の5月5日、聖武天皇は紫香楽宮から恭仁宮に還幸し、さらに、そこに止まることなく5月11日、平城京に還幸したのである。
~信楽町教育委員会編「紫香楽宮シンポジウム―聖武天皇の夢と謎」(新人物往来社)P33
聖武天皇は信楽の地で大仏建立という大願を欲したが、上記天災等で結果それは叶うことがなかったといわれる。
しかし、二つの大事業が併行して行われている最中、このような天災が起こったことは、聖武天皇にとってきわめて大きな打撃であったと思われる。それは天皇が古代中国で形成された天命思想をもっていたからである。
天命思想とは、地上の本来、そして真の統治者は宇宙の統治者である天帝とする思想である。だが、人でない天帝が現実世界を統治することができないので、地上の誰かにその統治を委任することになる。そのとき、天帝の命令である天命がくだることになる。天命をくだされた者は、これを受けて天子として地上を統治する。そして天子は天帝を祀り、天帝の意志を聞き、さらに徳をもつように努力すると、地上に祥瑞が現れることになる。もし、天子が徳に欠き、また天帝の意志に反すると、天帝はその不徳を責めて災異をもたらすことになる。天子の不徳がさらに進むと、天帝は天命を他の者にくだすことになり、王朝が交替するという思想である。
~同上書P34
学者の研究がここまで進んでいたことに僕は膝を打った。
追究することは大事だ。願わくば、真実を、真理を悟るところまで駒を進めること。好機を逸しないことだ。
おそらくベートーヴェンが最晩年に行き着いた思想は、聖武天皇が持っていた思想と限りなく近いものだと思われる。シラーの頌歌を原詩とする「歓喜の歌」の真底に流れるベートーヴェンの大願は、人類皆大歓喜の世界平和だ。
久しぶりに耳にしたコバケンのベートーヴェン。
ライヴの人ならではの唸り声は健在で、演奏も隅から隅まで熱い。もちろん瑕はある。ただし、そんな瑕をものともしない生命力がこの「第九」には宿るのだ。
正月元旦の「第九」もまた良し。
2020年、あらためて世界平和を願って。