フレーニ ヴァンゾ ダム ロード バキエ プラッソン指揮トゥルーズ・キャピトール国立管 グノー 歌劇「ミレイユ」(1979.11録音)

若きシャルル・グノーがドイツ音楽に開眼するきっかけとなったのはファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルその人の演奏するピアノだったという。

ブスケとデュガソーにはほんとうに頭が痛い。というのも、私が彼らに一度だけ、それも何ヶ月も前に弾いてやったものを、一つとして忘れていないのだから。これ以上の聴衆はほんとうにいない。私も今たくさん曲を書いている。人に認めてもらえることほど励みになることはない。逆に悪口を聞くとがっくりきてやる気がなくなる。グノーはあまり見たことがないほど一種情熱的に音楽の虜になっている。私のヴェネツィアの小曲がとりわけ彼のお気に入りだ。さらには私がここで作ったロ短調の曲、フェーリクスの二重奏、同じくフェーリクスのイ短調のカプリッチョ、そして中でもバッハの協奏曲。これなどは少なくとも10回は演奏しなければならなかった。
(1840年4月23日付日記)
山下剛著「もう一人のメンデルスゾーン―ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルの生涯」(未知谷)P151-152

ヘンゼル一家がローマ滞在中に出逢った、フランス・アカデミー会員である3人の若者にまつわる日記の記述に、ファニーの興奮が伝わるようだ。人生で一、二といわれるほどの幸福感を味わっていた彼女の身辺にあって、この若者たちとの交流は大きい。

晩に私は何曲か、そして最後にまたバッハの協奏曲を演奏した。あの人たちはもう何度も聴いたことがあったのに、バッハに大感激で、私の手に接吻するわ、手をぎゅっと握りしめるわで、まったく気持ちを抑えきれない様子だった。特にグノーはものすごく元気いっぱいだった。そして私が彼にどんな影響を及ぼしているか、彼が私たちといてどんなに幸せかということを私に表現しようとして、彼はいつも言葉が見つからないのだ。あの二人はまるで違っている。ブスケは落ち着いていてフランスの古典的な円熟に惹かれており、グノーは並み外れてロマンチックで情熱的だ。さてこうなるとドイツ音楽を知ることは彼には家に爆弾が落ちるようなもので、大きな被害を引き起こすことになるかもしれない。
(1840年5月2日付日記)
~同上書P153

こういう描写からもグノーの感情的な側面と、才能豊かな一面が垣間見られる。
シャルル・グノーの音楽は美しい。そして、実にヒューマニスティックな薫りに溢れるのは、5歳で父親を亡くした彼の満たされない心の投影であるように思われる。

・グノー:歌劇「ミレイユ」
ミレッラ・フレーニ(ミレイユ、ソプラノ)
アラン・ヴァンゾ(ヴァンサン、テノール)
ジャーヌ・ロード(タヴァン、ソプラノ)
ガブリエル・バキエ(ラモン、バス)
ジョゼ・ヴァン・ダム(ウリアス、バリトン)
クリスティアーヌ・バルボー(ヴァンスネット、ソプラノ)
ミシェレ・コマンド(クレマンス、ソプラノ)
マルク・ヴェント(アンブロワーズ、バリトン)
ジャン=ジャック・キュバイヌ(渡し船の船頭、バリトン)
リュック・テリュー(羊飼いアンドレルン、カウンターテナー)
ミシェル・プラッソン指揮トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団&合唱団(1979.11.11-21録音)

「ミレイユ」は悲劇だけれど、グノーの音楽は牧歌的であり、基本的に陽気だ。
例えば、第3幕後半、ヴァンサンを殺してしまった(結果ヴァンサンの傷は浅かったのだが)と思い逃げるウリアスの嘆きのアリア「ああ!俺はなんてことをしてしまったのだ?」以降の、静かで美しくも不気味なシーンを描くグノーの音楽の力よ!ここでのプラッソンの表現はことに堂に入る。
また、物語が深刻に落ちていく第4幕以降はまた一層グノーの情熱的な音楽に染まる。
あるいは、信者たちの敬虔な合唱に始まる第5幕の、ミレイユとヴァンサンの感動的な再会が美しい。中でも、体力の残っていないミレイユが息絶える(オルガンを伴なう)最後の場面の荘厳さにグノーの類稀な才能を思う(フレーニの歌唱の素晴らしさ)。

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