ヤング指揮ハンブルク・フィル ブルックナー 交響曲第3番(1873年第1稿)(2006.10Live)

混沌の中の調和、否、混沌という状態にある調和こそ、宇宙そのものの姿を現しているのではないか、ブルックナーの初期稿には宇宙の赤裸々な、無垢の姿がある。そんな彼にとって、この世はどれほど住みにくいものであったろうか、想像に難くない。アントン・ブルックナーにとって経済的安定は、常に気になる重要な事案であった。

4番目の交響曲が仕上がりました。「ワーグナー交響曲」(ニ短調)には更にかなり手を加えました。ワーグナーの指揮者であるハンス・リヒターがウィーンに住んでいるのですが、彼は、ワーグナーがそれをいかに高く評価しているかをあれこれのサークルで話題にしてくれました。でもこれはまだ演奏されていません。・・・ヘルベックは、かつてなんらかの形でワーグナーの助力を請うよう努めるべきだと私に言ったことがあります。私が手にしうるものといっては音楽院の俸給だけで、それではとてもやっていけません。9月とそれからあともう一回、私は借金しなければなりませんでした。そうしないと餓死するところだったんですよ。誰も私を助けてはくれません。・・・幸い2,3人の外国人が現われて、私のレッスンを受けています。これがなければ私は物乞いのために街をうろつかねばならないところです。
(1875年1月12日付、モーリツ・フォン・マイフェルト宛)
「音楽の手帖 ブルックナー」(青土社)P55-56

ブルックナーの第1稿は、まとまりがなく、集中力に欠け、散漫で時に難解に聴こえるとはその昔の話。昨今ではたくさんの指揮者がこの稿を採用するようになり、実演でも聴ける機会が増えたが、その外へと拡散し、ほとんどコラージュ的に積み上げられる独特の構成は、実演に触れてこそ真意が見える後にも先にもない唯一無二の方法であることが理解できよう。

4年前に聴いたシモーネ・ヤングによる交響曲第4番変ホ長調(第1稿)のあまりの前衛的な(?)音響に当時僕は膝を打った。ブルックナーの第一念がいかに独創的であったかを如実に物語るその音楽は、百数十年を経てようやく一般大衆の理解の及ぶところまで来た。時代がついにブルックナーに追いついたのである。

・ブルックナー:交響曲第3番ニ短調(1873年第1稿)
シモーネ・ヤング指揮ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団(2006.10.14-16Live)

音楽の全体像が吃驚するほどすんなりと頭の中に入る演奏(構造が透いて見えるほど!)。
ワーグナーの作品からの引用が実に効果的に入る傑作は、初稿だからこそその神髄が味わえる。決して冗長さを感じさせない第1楽章(再現部直前「ワルキューレ」からの引用が垣間見える瞬間の感動)、また第2楽章アダージョで突如として現われる「タンホイザー」序曲の巡礼の主題の妙!(ブルックナーはワーグナーを心から尊敬していたのだ)
快活な第3楽章スケルツォを経て、白眉は終楽章アレグロ。一見、行き先を見失いそうになる支離滅裂に動く音楽も、目的地を正しく掴めば、何と魅力的に鳴り響くことだろう。金管の咆哮は立派、うねる弦楽器も堂々たる風趣。動と静の錯綜、強音と弱音の素早いギアチェンジなど、ブルックナーの天才が炸裂する中で何より主題が回想されるシーンのあまりの懐かしさ。

ニ短調交響曲
比類なき、世にあまねくその名を知られた、高潔な詩と作曲の巨匠
リヒャルト・ワーグナー氏に捧ぐ
アントン・ブルックナー

~同上書P54-55

ありのままのアントン・ブルックナー。

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