ベルグルンド指揮ヨーロッパ室内管のシベリウス交響曲第2番ほか(1997.10録音)を聴いて思ふ

sibelius_1-3_berglund_coe674仏教思想では人間の魂は永遠だとされる。死によって旧くなった衣服を脱ぎ捨て、新たな服を調達するかのようにまた別の時代に別の場所に転生するというのだ。
シベリウスを聴いていて、音楽作品にもいわば「輪廻転生」というものがあるのかもと空想した。
音楽家(芸術家)の創造的魂はおそらく変わることはない。
しかしながら、三次元的な身体を媒介とする以上、性質や思考、あるいは感情というものによって色づけられた創造物は都度多様に変容する(ように見える)。それが、時期ごとの変化として記録されるが、音楽の源はたったひとつであるといえまいか。

楽想を譜面に記録した結果が楽曲ならば、(形になった時点で閉じられたといえる)その作品そのものは、いわば僕たちの身体と同じく必ず死に往く「衣装」に過ぎない。それならば、そこに内在する決して変わることのない魂を感じることが音楽を享受する醍醐味。
作曲家が命を賭けてあるひとつのものを追究して仕上げた音楽作品は、形は変れど魂は不変。魂を感じることが、汲み取ることが、そして見ることが大切だ。

精神の暗澹たる闘争。
シベリウスの交響曲第2番は確かに壮麗で美しい作品だ。おそらくベートーヴェンの「苦悩から解放へ」、あるいは「闘争から勝利へ」に影響を受けて生み出された渾身の作品であろうと推察できるが(標題的要素についてシベリウスは否定しているが)、ベートーヴェンの場合と同じく、この二元的対比の中に彼は統合というものをモチーフにしようとした。
シベリウスには他の天才作曲家たちと同様、未来を予見する能力があった。
時代と共に進化、深化する彼の交響曲は見事に変容を繰り返すが、ポピュラーな交響曲第2番の中に、すでに単一楽章である交響曲第7番に内在するものの萌芽を読みとることができる。終楽章アレグロ・モデラートの宇宙的規模で外に拡がるエネルギーは、最後の交響曲冒頭の音階を上昇するアダージョのモチーフと完全に一体化する(と僕には思われる)。
特に、パーヴォ・ベルグルンドが編成の薄いヨーロッパ室内管弦楽団と録音した交響曲第2番は実に透明感があり、見通しに優れ、そのせいか、あるいはまた気のせいか作曲者の最後の境地、すなわち単一楽章である交響曲第7番の片鱗が明滅するように感じるのだ。

シベリウス:
・交響曲第1番ホ短調作品39
・交響曲第3番ハ長調作品52
・交響曲第2番ニ長調作品43
パーヴォ・ベルグルンド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団(1997.10録音)

そして、2つの楽章の要素を見事にひとつに組み上げた交響曲第3番終楽章モデラート―アレグロ(マ・ノン・タント)にあるのもやはり統合の精神だろう。
時間をかけて推敲された音楽は一層深みを増し、シベリウスが書いた楽章の中でも出色の出来。何という傑作!ベルグルンドの指揮は楽想を丁寧に歌い、僕たちにシベリウスの魂を訴えかける。
その時代の気候の変動や潮流の影響を受けようとも、蒔かれた種が同じならば、咲く花も、成る果実も同じだ。一人の作曲家から生み出された作品の源はたったひとつなのだとやっぱり思う。

「第7交響曲」は、例外的にたったひとつの楽章しか持っていない。作曲者自身、はじめの頃は、自分が書いたものが何なのか、よく分からなかった。伝統的な4楽章制の交響曲ではないけれど、かといって交響詩のように特別な何かの標題に基づくものではない。はじめ、彼はそれを「交響的幻想曲」と呼んだが、ストックホルムでの初演を指揮したとき、この作品を自分の交響曲系列の中に含めるべきであることを確信した。
それはまさしく正解だった。「第7交響曲」は、シベリウスがそれまでの交響曲で追究してきた調和と論理性を、最終的に具現したのである。
マッティ・フットゥネン著/舘野泉日本語版監修/菅野浩和訳「シベリウス―写真でたとる生涯」(音楽之友社)P75

交響曲第8番がもはや世に出されることがなかった理由もここにあろう。残念だけれど。

 

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2 COMMENTS

雅之

>仏教思想では人間の魂は永遠だとされる

ブログ本文の主題からは外れますが、生物同様「魂」もまた細胞分裂のように増殖するという仮説はどうでしょう?

たとえば、シベリウスが亡くなった後、彼の魂はいくつもに分かれ、一部は天国に、一部は輪廻転生しているとすると・・・。だから、いい演奏をするとシベリウスの魂は何百年たっても喜んでくれる・・・。

仏教が説く「解脱」が狭き門で否定的なお考えであれば、こういう考え方も合理的で、歴史的な人口爆発についても矛盾なく説明できるような気がします。

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岡本 浩和

>雅之様

なるほど、納得のゆく仮説です。
ありがとうございます。
ちなみに、歴史的な人口爆発は魂そのものを生み出す母なる存在があるとも考えられます。
最近の胎内記憶の研究では中間生のことや胎内に入る前の場所のことを語る子供たちも出てきていて、その証言を聞くとそんなように思えるのです。

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