
僕は気高い運命をになっているという、十全な自尊心と誇りとを持っている。でも静かな持続する確信はない。
(1838年8月、ルガーノ)
~マリー・ダグー著/近藤朱蔵訳「巡礼の年 リストと旅した伯爵夫人の日記」(青山ライフ出版)P271
彼はプライドの塊だった。
僕がたった一行も書かなかった日がたくさんある。鍵盤の鍵を扱うようには言葉を扱えないということにときどきひどく苦しむことがあるのだ。人生のある時期に感じたことを堂々と、力強くまた飾り気なく表現できたらうれしいのだが。
(1838年8月2日、ルガーノ)
~同上書P272
何と贅沢な悩みか。彼にとって表現の最良の手段はピアノだった。それで良しとすればよいのに。そして、同日、彼は次のようにも認める。
悲しみと怒りにはコーヒーと紅茶がよく効く。煙草もおおいに役に立つ。この2つのもの(コーヒーと煙草)は絶対必要なものになった。この2つがないと生きていけないだろう。たいていの場合よい効果を生じる。ときにうんざりすることもある(親友のように)コーヒーと煙草は時折不思議なやり方で僕を動揺させ、苦しめる。
~同上書P273
愛するマリー・ダグーと一緒にいて彼は本当に幸せだったのだろうか。
たぶんに駆け引きの多い、互いを無意識に傷つけんとする意志に恐怖さえ覚えるほどだ。
11月、フィレンツェに移った彼はかく語る。
彼女は僕に古い指輪を再びはめるようにと言った。
僕たちの生活の様々な面はうまくかみ合っているのだろうか? 一体性を破壊するように思われる、あの激しい衝突や絶望的な危機はないのだろうか?
これほどの疲労困憊、涙、嗚咽が精神力の発達のため必要なのだろうか?
~同上書P277
疑心暗鬼の自問自答にこちらが悲しくなるほど。
いつの時代においてもフランツ・リストの作品は思念に溢れ、また(良くも悪くも)感情的だ。
ケルンでのオール・リスト・プログラムの実況録音。
リヒテルのピアノはリストの感性を見事に捉える。高鳴る心に鎮まる思念。猛烈な技巧に裏打ちされながらかの音楽たちは実に喜びに満ちている。ほとんどショパンのそれを思わせるポロネーズの華麗な響き、また超絶技巧練習曲の浪漫(「夕べの調べ」の安寧)、そして(おそらくアンコールの)演奏会用練習曲「ため息」のあまりの美しさに舌を巻く。