
アンドレ・クリュイタンスによるリストの交響詩「前奏曲」を聴いて、実に素晴らしい演奏だと思った。
テンポを遅めに設定し、楽想に合わせ巧みな緩急をつけ、堂々たる風趣で挑むクリュイタンスの棒から、有機的なティンパニの炸裂により、リストの外面の良い音楽が何と自律的な大いなる交響作品として目前に姿を現わすことか!!
クリュイタンスの大いなる遺産の一つだと思う。
一方、ベルリン・フィル初のベートーヴェン交響曲全集からの1曲、名作交響曲第8番。
私は、クリュイタンスがベルリン・フィルを指揮したベートーヴェンの『第七交響曲』をきく。実に整った演奏である。だが、ちっともおもしろくない。それに、これは最後まで、きき終わらないうちにわかってきたことだが、この演奏の最大の弱点は、ダイナミックのうえでの変化、つまり強くなったり弱くなったりすることと、テンポのうえでの動き、つまり速くなったりおそくなったりすることとの間に、何のつながりもない点にあるのである。
~「吉田秀和全集5 指揮者について」(白水社)P57
クリュイタンスのベートーヴェンに関する、かつての吉田さんの評は手厳しい。そして、彼はこう付け加える。
もしクリュイタンスのベートーヴェンを、古典的と呼ぶとすれば、それは動的であるよりも静的な様式のそれであろう。
~同上書P59
音楽においては縦の運動と横の運動の連携、連動が重要だと吉田さんは考えておられるようだ。なるほど、確かにベートーヴェンの交響曲に限らず、音楽において重要なことはあくまで流れが自然体であるかどうかだ。外面を整えることによって失われる内的パルスの欠落。その両方をバランスよく保持することは実に難しいのだろうと思う(特に、整理整頓を極め、化粧を施されたレコーディングという状況においては)。
しかしながら、作品が変われば印象も随分変わる。同じベートーヴェンでも、交響曲第8番になれば、確かに静的な様式でありながら、内側から見事なパッションの奔流が聴こえるのである(僕の気のせいだろうか?)。私的には最高の演奏の一つだと思う。